飛鳥カナ配列について、感じたこと。

(※これは、昨日朝の時点で投稿し忘れていたものです)


 毎回思うのだけれど、「Rayさんが飛鳥をよいと思う理由」と「私が飛鳥を良いと思う理由」には、だいぶ違いがあるような印象を受けるんですよね……。


 Rayさんの印象としては、今までの開発手法を拝見する限りでは「速く入力できることを意識して」設計していて、あとから(後年になって?)「指さん」が「楽じゃない運指が来たときに悲鳴を上げる」ことで補正してきたのではないかな……というふうに感じました。
 配列が収束に向かうにつれ、「アタマ」と「指さん」両者のギャップが埋まってきて今の形になった……とすれば、Rayさんが特に「試行錯誤と工夫の成果として得られた速さ」について優先して言及される姿勢というのは、こういう過程だと想定するととても自然なことだと思います。


 一方、私の印象としては(21世紀-207版から始めて21世紀-290版で既に満足してしまっていることもあり)特に「速さ」については重視していなかったりします……というか、21世紀-290版が出てきた2005年1月18日の時点では「入力速度はボロボロ」でした。
 そんな状況ですらも「楽であるという恩恵を十分に受けているので、すでに飛鳥を止めよう……と思えるような不安要素はなかった」わけで、これは(ローマ字入力との入力速度差が逆転している)今でも全く思うところは変わっていません。
 「試行錯誤と工夫の一つ一つ(=プロセスそのもの)が楽であること(≒コンパクトであること)を意識して設計されていれば、入力速度は後から自動的についてくる」のかもしれず、結局私の場合は「(全般的に不器用なので)1年近くかかって、ようやく十分な速度を得ることができた」状況でした。
 達成時期が予想よりもだいぶ早かった(操作数を考えれば、ロマかな同等の時間──1年半とか、2年とか──はかかると思っていた)ことには驚いていますが、これは「良い作業手順(入力操作をよく観察して決定された配列)が定められていれば、作業習得は(その作業手順が適応する範囲においては)必ず容易になる」というアタリマエの原則がそのまま生きただけであって、なんら不思議はないかと。
 個人的に「Rayさんのここがすごい」と思う部分は、その「アタリマエの原則」を実現するために「トコトン工夫と評価打鍵を重ねてきたこと」だと感じています。
 ……そういう意味で飛鳥は、文字の並びとしての「配列」ではなくて、手順のカタマリとしての「入力法」と呼ぶべきなのかも?。