この国に足りてないのは「責任(Responsibility)」じゃない。この国に足りてないのは「説明責任(Accountability)」なんだよ。

(過去:(たいとるおんりー)「そうだ、日本市民になろう!@はてなグループ」または「日本市民を目指してみるテスト@Wiki」を作ってみよう……と思ったものの、めんどくさいことになるのが確定しているので止めた。 - 雑記/えもじならべあそび)


 ……ってのは私の主張ではなくて、

人間を幸福にしない日本というシステム (新潮OH!文庫)

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での話なのだけれど。


 官僚は「選挙で選ぶことができない」かわりに「市民に対する説明責任を負う」と。
 政治家は「普段政治に没頭できない市民の代わり」になって、官僚に対して「説明責任を果たすよう追求」していく、と。


 そういう意味では、政治家が「くだらないパフォーマンス」をするというのも、ある意味では「一つの選択肢」だといえる……と。
 なぜなら、「そういったパフォーマンスがくだらないのかどうかを決めるのは、市民(の投票)だから」と。
 ……まー、それぞれに、好きなようにやれば良いのではないかと思う。


 選挙が「人気者投票」から「人気政策投票」へと変わるためにはだいぶ時間がかかるのかもしれないけれども、いまから色々と実験しつつ、最終的には「民主主義化」というのを目指して欲しいなぁ……と。
 #うわ、この記事(?)自体が、思いっきり冒頭の本の世界観に侵されてるな……orz。