「かえであすか」の低頻度清音かなを規則的配置「しなくてもよい」理由。

 注意:これは「後付けの苦しい言い訳」です、たぶん。

 Rayさんが指摘していらした「かえであすかでは濁音と半濁音は規則配置するのに、同じく低頻度な清音かなを規則配置しないのは片手落ちでしょ!」(注:意訳)という話……これは「配列単体で見れば正しい」のだけれど、「かえで○○シリーズ的には正しくない」という、ちょっと厄介な話だったり……。


 (いちおうかえであすかWikiには追記してきたのだけれど)配列を単純化したからには、練習法も当然(!)単純化したものを使うわけでして。
 本来は「シャドータイピングで50音順学習をする」かえで式キーボード練習法でどーにかするべきなのですが、かえであすかWiki(というか、親指シフトWiki群すべて)には、その代替として【ひらがなの50音順を利用した練習法】を練習法のひとつとして提案しています。


 五十音順練習をすれば「ア段以外のかなの配置についてはわかりやすさを追い求めなくともよい」=「ア段以外のかながどこにあっても学習効果は変わらない」というメリットは確保できますので、「配列側で探し易さを組み込んだものを使う」場合と比較しても、あまり変わらない学習効果が期待できます。
 そして、この学習効果をさらに補うために、かえであすかではあえて「清濁半の擬似的隣置」を採用した……と、そういう形になっています。


 結局のところ、かえで○○シリーズ(正確には、かえであすか)の役目は、飛鳥(に限らず配列系全体)に対する世間様的視点に近いところから「未使用時点での心理的なハードルを低くすること」が目的です。
 ある練習法でやってみて「かえであすかは習得できた」となれば、【まったく同じ練習法が提示されていて】配列もかなり似ている「飛鳥カナ配列なども習得できるはず」……という、ある種の安心感につながることを期待しています。
 このあたりを狙いにすると、心理的にも実際的にも「初期配列や初期練習法については、実用可能な範囲でできるだけ単純化する」ほうが、より早期に【理解して、納得して、実践して、実感する】ために役立つものと思います。


 ……と、だらだら書いてしまいましたが、「かえであすか」の存在意義は、おそらくは「入力法がいろいろあることに気づいていただくためのキッカケ」あたりに限られてくるのかもしれません。
 かつて飛鳥カナ配列が、多くの個人製作配列をブートアップするきっかけになったように……かえであすかにも、そういう「何か」があればいいなぁ……と、個人的にはそんなことを考えていたりします。