新配列の私製異版はどこへ行くのか。

(未来:[かえであすか配列]近年(というか、ここ1ヶ月?)の「飛鳥カナ配列・堂々巡り総集編」において、とても気になる変更が2つ。)


 1980年代設計の配列については、今までいろいろな方が弄繰り回してきて明らかになりつつあるように「人間にとって最適とは言い切れない」部分があったように思います。
 当時は「計算配列で人間にとって【使いやすい配列】ができる」と信じていた方が多く、その計算方法についても厳密な検討が行われていた……というよりは、「配列とはこうあるはず」という主観に沿って行われていたように思います。


 たとえば、新JIS(JIS X 6004)と花配列に対しては、後に月配列シリーズが提案されました。
 この月配列シリーズは、結果として「JIS X 6004が、【当時の世間の評価とはまったく逆に】驚くほどまじめに配列検討され、かつ先進的な【評価打鍵による配列の選定】という手順を、限定的ながら実践してみせた」ことを、うまく配列界へと知らしめる効果があったと思います。
 実際、従来行われていたネガティブ広告の影響で「新JISはダメな配列」だと思っていた(思わされていた?)方にとって、その誤解を解くために「月配列という配列の存在」は、とても重要だったのではないかな……と、私はそう感じています。
 また、月配列からさらに派生したGA配列では、JIS X 6004の計算手法からさらに歩を進めて、「評価打鍵を基にすれば、計算配列でも正確性を出した配列を設計することが可能である」ということが明らかになりました。
 月配列という共通のプラットフォームが、新JISの源配列設計者である渡辺さんの「目指していたこと」を、別配列という形であらわにしてきた……というのは、「多人数による新配列系の検討可能性を追求してきた」ことと並んで、月配列にかかわる人々による、重要な成果だと思います。


 あるいは、NICOLA(親指シフト)とTRONかな配列に対しては、後に親指シフト系の配列(飛鳥カナ配列や小梅など)がいくつか提案されました。
 これらは、どちらかというと「源配列をどうにかしよう」というものではなくて、「源機構である親指シフトをどうにかしよう」というコンセプトで設計された……とみなすほうが自然ですね。
 親指シフト方式の鍵盤配列は、特に「少しでも欲張って設計しようとすると泥沼にはまる」ことがすでに知られていて、清濁同置規制を使って設計している141Fさんでもだいぶ苦労されている様が公開されていますし、Rayさんにいたっては半専業で8年かかっていることが同じく公開されているわけで……。
 計算資源・ソフトウェア・資料が多い現在においてもこれほどまでに「配列だけでも大量の設計期間が必要」であるとすると、四半世紀前の時点で「短期間で親指シフト系の配列設計を行う」ということは、原理的に無理だった……ということが、こうして証明されたのかもしれません。


 さて、翻って本題の「新配列の私製異版」について。
 ふつう、鍵盤配列に限ったことではないのですが、たいていナイスアイデアというものは、特許なり何なりの法的手段によって保護してしまうべきものです。
 ところが、これをやってしまうと、源配列のみではなく源配列の周辺配列までもが「保護の対象」となってしまい、少なくとも15年以上は何も動かせなくなってしまいます。
 ……で、配列系では不思議なもので、JIS化という形で行使権の不行使を事実上宣言してみたり(JIS X 6004など)、権利者が規格をオープンにしていたり(NICOLAなど)、特許系を使わず論文系での公開によって配列を規定していたりに(これは20世紀配列系に多い)と、改善の余地があることをまるではじめから見越していたかのような領域が存在していました。
 これはすなわち、「鍵盤配列がまだ完璧に近い領域にはなく、まだまだまだまだ研究開発が必要だ」ということを、総体としては主張していた……ということなのかもしれません。


 「新配列の私製異版」というのは、結局「細かな個人差を吸収する、ユーザビリティの一環として」必要になり続けるはずです*1
 たとえば私は「かえで○○配列」シリーズを作ってきて、確かに「自分にとっての苦手を補完する」ために役立ってきました*2
 インフルエンザにうなされていたときには「かえで携帯配列」が活躍しましたし、眠気や疲れが影響して指の記憶があやふやになるシーンでは「かえであすか配列」で導入した単純配列部分が役立ち始めています。
 こういう代物は、基礎配列の配列指針と実装が確かであればあるほど「私製異版の作成時に効果を発揮する」*3ので、将来的にも「新配列の私製異版」がなくなることはないと思います。
 このあたりについては、古くから配列界隈で「私製異版に対する寛大な姿勢」を貫いてくださった、多くの賢人の方々に対して、敬意を表したいと思います。


 四半世紀前には、国内電機メーカー各社の手により、普通の日本語話者の手に「日本語電子タイプライタ」という代物がもたらされました。
 それから25年……ようやく、「日本語話者が、指に宿る記憶を使って意識を言語化する」ために必要な要素が、一そろい発見されたのかもしれません。
 これまでの四半世紀は「開発」のために費やされてきました。次の四半世紀は「追試」のための期間として費やす……と、そういう時代へとそろそろシフトするべきタイミングなのかもしれません。
 今使っている入力法が「最も使いやすい」と信じている方には、それをそのまま使い続けていただければ、それでよいと思います。
 もしも今使っている入力方について「使いやすさが得られない」と思っている方には、ほかの入力法についての追試をご検討いただきたいところです。
 このまま日本語入力が「(そのうち確実にローマ字入力と同じ入力効率を獲得する)ケータイ」へと押し込まれてしまうのは、さすがにさびしいですし……「キー数の多さ・全指タイピング」をフルに生かして「より人間らしく使うことができる」配列が、今後一定の普及を見るような時代が来てほしいところです。

*1:ペン書きによる腱鞘炎などが原因で特定の指を使いたくない……というような場合であっても、まったく別の配列を使うのではなく、既存配列を部分的に調整するという選択肢が取れるようになる。ただし、これを実現するためには、既存配列を含めて配列を自由に差し替えできる仕掛けが必要なんですよね……。

*2:もっとも、「かえで配列」そのものは例外なんですけどね……^^;。

*3:オーディオの世界では、「よく調整されたシステムは、システム内の小さな変更に対して素直に反応する」という話があるそうで。これって、鍵盤配列についても共通するところがあると思います。「かえで配列」が失敗して「かえであすか配列」が個人的にはうまく行ったのは、「土台となる配列の確かさが違うこと」が大きく影響していると思います。