「俺専配列」は「Our配列」になりうる、ということ。

(言及:それが当たり前になって欲しいから。)

 その文書は、随分と昔から何度か拝見してます。微妙に(かなり?)影響されてます。


 そういえば、「(新旧の)配列を天秤に掛ける」というくだりについては、確かその文から拝借した気がします…というか、その発想自体を知った当初は、かなり愕然としていた気がします。
 それこそ、「ええっホントに標準(注:デファクトスタンダード)から外れたものを使っても良いの?」って感じでした…何しろ当初はNICOLAへと本格移行するかどうかでかなり迷っていた時期で、あの文書を見たあたりから「そうか、家と外とで配列を分けても良いのか」と本気で考えはじめたところでしたので。
 (それまでに本格習得していたのはAZIK止まりでした…Qwertyから離れることに恐怖感を抱いていましたし、かといってJISカナの再習得は無理だろうと感じていましたから)


 それから「やっぱり配列は服靴と同じで「探すもの」なのかも。」については、前提として「その要求を賄うだけの多種多様な方法論を持つ配列が公開されていて、かつ実用に供することができる環境にあること」が絶対条件です。
 昔は「やっぱり作らなきゃダメかな」と考えていたのですが、正直言って「全ての人が何の知識も無しに、配列を一から作る…ということを、日本語話者全員が再び繰り返すというのは無駄」ですし、むしろ「既に先人の手によって、かなり多くの方法論が提示されている」わけですから、これらの配列のうち何れかで満足できる人にとっては、やはり「作るよりも探す」方が、現実的だと思います。
 (それぞれの配列に込められた思想や工夫は、最大限に生かされるべきだと思います)


 そのうち、それでも満足できない人が、それらの配列や思想を元にして(時には飛び越えて)新たな配列を設計する様になれば、より多くの(特に、それまで日本語入力に挫折していた)人にとって、より適する解が見いだせるのではないかと考えています。そしてそれは、今も変わらず多くの人が取り組まれているわけで。
 はじめから「配列は作るもの」って言ってしまうと引く人が居そうですから、より多くの人に対しては「配列は探すもの」だと言うことから始めたいですね。


 …とまあ、姫踊子草がなければ、私はこういう事を考えることすらできなかったわけですが。


 キー入力入れ替えソフト(あるいはIMEローマ字変換テーブル)についても、もっといろいろな記述方法が欲しいですね。
 私としては、表計算ソフト様の変換テーブル定義アプリが用意されていれば言うこと無しだったりもするのですが(姫踊子草の定義ファイルは、それにかなり近い感覚・テキスト一括表記で記述できる点が個人的には好き)、この指定方法にしても例えばRayさんのように「キー単位で変更できる(親指ひゅんQのような)方がいい、姫踊子草の様な方法は面倒」とか言われていた気もしますから、これも捉え方(というか目的)次第なんですよね。
 そういう点も含めて、もっといろいろな方法があっても良いかな…などと思うわけで。


 ううっ、また長くなったのでコメントにしづらいですね…トラバさせていただきます。
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