『新しい配列→古い配列』へと移行することは、『ありえる』事なのか?

 一般的には、「古い配列→新しい配列」ってゆー移行をする……とおもうのだけれど、「新しい配列→古い配列」ってゆーのも、そこにメリットが見出せれば『普通に、選択肢としてアリ』だと思う。


 ……ってゆーか、実際私は『飛鳥カナ配列21c290版』から『飛鳥カナ配列21c356版』に乗り換えたッてゆーのに、結局はそれじゃ満足できなくて、そこから使用感触が『飛鳥カナ配列21c290版』風になるよう、ダウングレード調整&かえで化した……ってゆー経験がある。
 ……つまりはそれが「飛鳥→かえであすか」なのだけれど。


 何でこんなことが起きるのか?ってゆーと、結局は『狙いが違う』からだよね……ってしか、表現しようがないのかも。
 「飛鳥カナ配列21c356版」はRayさんにとって、速くて快適であることを目指してきたはず……なのだけれど、あの版は「練習しないと維持できない」し、運指のひっかかりや指の保護に対して「過剰にこだわりすぎている」ってゆーふうに、私には感じられました。
 使ってみれば確かに「あー、これはマスターできたらすごくいいだろうなぁ……」ってゆー気はする、のですが、どうにもそこまでいける気がしない。
 かといって、いちど「飛鳥カナ配列21c356版」のやり方を知ってしまうと、そのまんま「飛鳥カナ配列21c290版」にも戻れないし……と、すっかり立ち往生してしまったんですよね……。


 ……で、そうこうしてるうちに風邪気味状態になっちゃって、そーゆーボーっとしてるときにエイヤで「飛鳥カナ配列21c356版の配列を、飛鳥カナ配列21c290版の運指で使えるように、ロールバックしちゃった」結果が、いまの「かえであすか」になってる……と。
 どさくさにまぎれて、覚えにくいところをガラガラと整理しちゃったのだけれど、そこは「ロールバックしている最中だし、風邪気味だし……で、さっぱり覚えられない」状態だったから、半ば自動的にそうなっちゃった、と。


 実際のところ、この「かえで化」の部分は、練習中とか風邪気味とかいう不安定なときにしか役に立たないし、かえで化が主因で「500万打鍵/年以上はイケそうなハズの配列が、半分の性能も維持できてないであろう状態に変容してしまったと予測してる」のだけれど……今のところ、公開ベースで120万文字/年(≒捨ててる下書き分を含めても、250万打鍵に触れるかどうか)ってくらいの打鍵量しかないから、さっぱり支障が出てなくて「まぁ、今のところはこれでいいか。」ってな状態になっていたりするわけで。
 「温故知新」じゃないけど、『新しいか古いか』ってのは、あくまでもこのセカイの時間軸基準で言っているだけの話であって、『自分にとって合うかどうか』ってのは、その時間軸に縛られることなく、何年でも遡って参照していいものだと思う。


 古い配列って言えば、たとえば「新JISかな」なんてまさに『かな漢字変換創成期』くらいの勢いで古い配列だけど、あれは配列も考え方も取り組み方も、今見直したって全然色褪せてないじゃん……。
 新しいか、古いか……ってゆーのは、単なる「タイムスタンプの問題」として捉えても、別にいいんじゃないかと思う。
 新しい配列には、「古い配列のときの反省点……失敗したこと・やり切れてなかったこと・etc……」が練りこまれるものだけれど、それだって配列である限りは「何かを諦めて、その余裕分を使って改善をする」しかないのだから、タイムスタンプに惑わされることなく『その配列が何を諦めて、その配列が何を満たそうとしたのか』ってのを、よく見極めることが必要になると思う。
 『その配列が、とある事情で諦めた何か』が、自分にとって諦めきれないことだったら、それこそ「その配列で諦めたことは、自分にとって欠点である」ってことにもなるだろうし。


 配列における「狙い・諦め」って、色んなのがあると思う。
 解りやすくすること・規則性を持たせること・運指の絡みをなくすこと・効率をよくすること・親指キーで圧縮をすること・文字キー同士同時打鍵で圧縮すること・専用キーボードを使うこと・JISキーボードを使うこと……とかとか。
 欠点のない配列に見えるものにも、他の誰かから見れば結局は欠点が見えてくる……ってのもある。欠点は「その人が気にするかどうか、が唯一重要」なので、他の人にとって利点であることが、当人にとっては欠点だ……なんてことは、日常茶飯事だと思うし。


 意外と、「配列の狙い」に惚れて「配列の諦め」のことを考えずに練習し始めると、練習していくうちに「何で上手く行かないんだ?俺がダメなのか?」とか思いはじめることがある……けど、そーゆーのって「配列の諦めを、よく見極めてなかった」ときに起きるのかも。私が「飛鳥カナ配列21c356版」に乗換えを試みたときなんて、まさにそうだったはずだし。
 私にとって、「私には諦めきれないことは、諦めない」ってゆー基準で行くと、今までのなかで長期間使ってきた「JISかな・Qwertyロマかな・AZIK・飛鳥カナ配列」のいずれもが「私には諦めきれないこと」を抱えてた……から乗り換えし続けてきたけど、そんな中でも「少しずつ、理想に近い方向に歩みを進めることができた」ってゆーのは、私にとって良い勉強になったと思う。


 私にとっての『かえであすか』って、結局は『飛鳥みたいに、500万打鍵/年以上を保証できそうなところ』を諦めた代物……なのだけれど、それ以外の要求については基本的に「全部諦めない」事を目指してた気がする。
 最終的には……専用練習なしで習得できる・忘れ起因の引っ掛かりがない・250万打鍵/年で指が悲鳴を上げない・ほとんどのありふれたキーボードで使えるかつて気づいて、しばらく忘れていたこともフォローしてる・体調に左右されることなく使える……とか、思い返してみるとそーゆーところは「諦めずに済んだ」気がしてる。
 当然、わたしと「ぴたり一致するようなことに困っていて、ぴたり一致するところに諦めがつかない」ひとにとってしか、「かえであすか」は使い物にならないと思うし、私以外に使う人も現れないだろう……と思うけど、私の場合は「他の方にも、かえであすかを使ってもらうこと」については諦めてるから、そこに関する努力はしてなかったりする。
 一方で、かえであすかの特性については、物事をひっくり返していうと『練習で習得維持できる人にとっては後退要素が多い・素で250万打鍵/年とかは保証できやしない・1009本当たり84本の割合で、対応できないキーボードが存在する』ってゆー意味では、すごく諦めてるところがある……このうちどれか一つでも「それを諦めてもらっちゃ困るよ!」ってひとには、まかり間違っても「かえであすかを奨めるわけにはいかない」……と。


 いずれにせよ、「新しさ」ってのは、配列を選ぶ基準として、そう適切なものじゃないと思う。
 その配列が、何を諦めて、その分何を導入したのか……ってゆー、両天秤に乗った要素を、よーく見極めることが重要だと思う。
 一番理想なのは、「合わない人に対しては絶対に奨めず、合う人にこそ奨める」ってことが、100%の正解率でできれば最高なのだけれど……まだそこには程遠くて、さてどうすれば……って悩んでばかりいるんですよね。
 今のところは「配列の狙い」に惚れて練習し始める……ってゆー動機によって「配列の諦め」部分を克服してもらおう!ってゆー方針でいくより他に、手段がない……のだけれど、いつか「配列の諦め」部分を、いくつも配列を試したりするような時間の無駄なしに、スパッと体感できるようになればいいなぁ……と思う。
 こーゆーのって、「乗り換え前の配列」に関する記憶がある人……つまりは「1回以上乗換えを経験した人」じゃないと解らないと思うのだけれど、そこを考えるとやっぱり「(本移行目的じゃない、乗り換え経験値を稼ぐ専用の)ハブ配列」見たいなのがあるほうがいいのかも?とか考えてしまうところで。
 理想としては、たとえば「1998年の相沢かえでに対して、はじめから『かえであすか』を提案できる」と一番いい……のだけれど、そーゆー感じで「その人が将来行き着く先の配列」を、はじめから提案できるようにするには、一体どうすればいいのか……ってところは、まだいろいろと思考実験とか現実実験とかが必要になるのかも。