私が親指シフト系の「かえであすか配列」から、さっぱり移行できないでいる理由。

(過去:親指シフト系の「かえであすか配列」、使用開始から1181日目。いまだに手指の痛みとかは来ていない……なぜだッorz。 - 雑記/えもじならべあそび)
(過去:キーボードはボロボロ……僕の指は元気だけれど。 - 雑記/えもじならべあそび)
(過去:親指シフト系の「かえであすか配列」、使用開始から451日目。いまだに手指の痛みとかは来ていない……なぜだッorz。 - 雑記/えもじならべあそび)


 私にとって鍵盤配列ッてのは、以下の条件を満たしてなきゃいけないと考えてます。

  • 全く練習をしなくても、それなりに覚えやすいこと。
  • 全く練習をしなくても、頻度さえ確保していれば絶対に忘れないこと。
  • 使っていて「(忘れる・ミスをするなどの)ひっかかり感」をなるべく感じないこと。
  • 使っていて「手指や手首に対する痛み」を絶対に感じないこと。
  • 使っていて、実用十分なレベルで速度を出せること。
  • 不器用な左手は訓練せず、そのままの特性で十分に活用出来る範囲にとどめること。


 実際のところ、いろいろな原始配列を、実際に作って試してきた……んですけど、上記と重ね合わせたときに『私自身にとって、ちょうど心地よい』鍵盤配列ッてのは、どうも以下の条件を必要とするみたいです。

  • かな系であること──共用手順であるQwertyロマかなと、一切の工夫&訓練なしに、非干渉状態で共存できる。
  • 単字かな系であること──特定文字を出すための枝が「1本道」じゃないと、運指記憶が混乱する……どっちかの経路が指に記憶されないぐらいなら、そもそも枝は1本だけのシンプル構造にしたい。
  • 頻度に見合った「打ちやすさ&忘れにくさ」が、自分にとってちょうどバランスしてること。
    • 出現頻度の低さと、規則性の高さとが、かなレベルでリンクしてること──「何もしなくても、忘れない」ためには、こういう工夫が必要だし。
    • 指が覚えられる程度に頻度がある文字は、打ちやすいところにあること──ここは重要。これがないと「覚えられるけど、後から指が痛くなる」なんてことになりがちだし。


 今のところは、目下「低頻度なカナ群と同じぐらいに低頻度な「拗音群」をも、1打完結で打てる配列」に移行してみたい……ってゆー狙いは保持し続けているんですけど、僕にとって【特定文字を出すための枝が「1本道」じゃないと、運指記憶が混乱する】ってところはすさまじく重要なので、それを実現できる規模にしなきゃどうにもならない……ってところが導入のネックだと考えてるところで。
 現行ではこの条件を満たせるものが、たぶん【かえでおどり配列】しかない……のだけれど、この規模になると『配列図は圧縮できても、運指自身を示す「かえで式」ではその巨大さが結局明らかになってしまい、覚えにくいことに変わりはない』状態なので、そのあたりが移行する上での難しさなのかな、と。
 #しかも、これだと「かえで****あすか」みたいな「頻度に応じた使いやすさ」の部分は満たせないし。


 「使いやすさ&痛みにくさ」だけは鍵盤配列で確保するけど、「覚えやすさ&忘れにくさ」あたりは鍵盤配列側でフォローする気なんかないよ!ってゆー片手落ち状態なんて、私にとっちゃ致命的欠陥でしかない……ので、そーなることだけは避けたいところで。
 結局のところ、私にとって鍵盤配列の条件ッてのは【使いやすさ・痛みにくさ・覚えやすさ・忘れにくさ……の、全部が欠点なく揃ってるもの】なので、そーゆーメンドクサイ条件を満たす「文字キー同士同時打鍵方式の、鍵盤配列」を作らないと、乗り換えするのは無理ッぽい気がする。
 ここら辺を作りこむのがかなり厳しい……ってのは「楓配列→かえでおどり配列」を調整&評価打鍵して思い知らされているところなのだけれど、それでもやっぱり【使いやすさ・痛みにくさ・覚えやすさ・忘れにくさ……の、全てが揃った、文字キー同士同時打鍵方式の鍵盤配列】を作るためにチャレンジしてみたい気持ちは、まだ萎えてないんですよね……。


 中途半端な(代替入力を残したままの)文字キー同士同時打鍵方式鍵盤配列だと、私の場合はいつものズボラ癖が出てしまって「結局は代替入力に頼りまくる→単字かな系と同じ使い方をしてしまい、以降の意味がない」のが目に見えてるから、そこは避けたい……のだけれど、その根本的な理由が「忘れにくさが足りていないと、イラつく」ってゆーところにあるから、これを配列側で上手く解消するのは相当に面倒なことになると思う。
 結局、私は「ユーザー側が練習すればいいじゃんwwwww」って方向に逃げたくはない、ンですよね……あくまでも『めんどくさいことは設計側で全部解決して、ユーザー(=私の指さん)に手渡すときには「通常負荷で十分に運用できる」状態にしてから手渡ししたい』ってところがあるし。
 立ち位置が違う人にとっては「練習しないなんて、それこそ逃げじゃん」って感じると思う……けど、それって「訓練して習得する側の視点から見たときの話」だと思うんですよね。そーゆーのは「練習する側の立ち位置」に立ってるときには正しいのだけれど、自分が「配列設計する側」の立ち位置に立ってるときにはそれを「配列を作る側なのに、言い訳としてそれを使う」ってのはダメでしょ、と思う。


 あるルールを守れない人が居たとき、ルールを守れなかった側の責任は1%にも満たなくて、実際には守れもしないルールを設計したやつのほうが99%以上の確率で悪い……ってのは、動作分析を通じて作業手順を設計するときの大原則みたいなものなのだけれど、鍵盤配列についても同じことが言えるんじゃないかと、わたしはそう考えてます。
 私が鍵盤配列を作るときって、結局は『普通に使って習得&維持できないなら、それはルール(=鍵盤配列)として失格』ってゆー縛りに拘束され続けてる……のだけれど、私はこの縛りを「邪魔なもの」とは考えてません。だって、そこと戦わなきゃいけないのは「ユーザー」じゃなくて「ルールメーカー」でしょ?ルールメーカーがそこから逃げて、「やー、こーゆールールに決めたんだから、(=私の指さんとかに対して)おまえら黙って使えよwwwww」みたいなこと、言えるわけないじゃん……。


 私は「ルールというものの恐ろしさ」から、一歩たりとも退きたくないし、ましてや逃げたくないんです。
 そーゆー「(私の)指さん」にとって、【使いやすさ・痛みにくさ・覚えやすさ・忘れにくさ……の、全てが揃った、文字キー同士同時打鍵方式の鍵盤配列】ってのが、ホントにあるのかどうかは、まだ確信がもててない……んですけど、いつかそのパズルを解いてみたいです。
 #で、それを「動機」レベルにまで持っていくためには、まず「かえでライティあすかではフォローできない領域(打鍵数が多すぎて、指が痛み出す領域)に突っ込むまで、とことん評価打鍵をして、指が痛み出さなきゃ始まらない」のですが、さっぱりそこにたどり着けなくて難儀してる……ってのが、現時点での状況だったり。130万かな/年程度じゃ全然負荷として足りてないッぽくて、ここの「過負荷試験」計画を立てて実行することからはじめないと、実際の「動機」を生み出せないのかも。