「説明能力」を鍛えるべきか、「説明要らず」を目指すべきか。
141Fさんのコメントみたいに、私にも「説明能力」があるといいなぁ……と思うのだけれど、そういう高望みをしても仕方がないのかも。
それとは別に、私は最終的に
- 説明要らずで使えて、人間の本性とか身体特性とかに従順で、人間の理性とか創造性に訴えかけるもの。
……ッてのを目指したいと考えています。
この場合、「出来上がった道具」についての説明能力ではなく、「道具を作る過程でのヒアリング」という意味合いでの説明能力が必要になる……と、結局説明が必要なのかorz。
配列に首を突っ込んで10年?経ったし、インターフェース屋1年生でもあるので、こういう「説明能力」と言うか「フォロワーシップ」というあたりのチカラを身に付けていかなきゃいけないんだろうなぁ……とは考えていたり。
ただ、最終的には「かえであすか」=「説明不要で使える」を目指したいな、と。
優劣を競えないから、飛鳥とは「狙いどころが違う」という方向に持っていきたいんですよね……。
#「かえであすか」に限れば、このあたりは「配列」で解消するべき問題じゃないような気もする。