ひとりひとりが「ひとつの手順」に固執していたら、きっとなにも、かえられない。

 僕の目の前には、標準作業と、作業標準がある。まぁ、厳密じゃないけど。
 標準作業と、作業標準とを守るのは、「作業」をする上ではすごく重要。コレは鉄の掟だからね。


 ……でも、世の中は、僕らが思っているよりも「ものすごく速いスピードで」動いてる。
 こいつに対して「努力」だけで応えていけるのは、ほんとにごく一部の「すさまじい努力家」だけなんだ。「ふつうの努力」だけでカバーできる時代なんて、もうとっくの昔に終わってる。
 だから、いったんきめた標準作業と、作業標準とに「固執しちゃダメ」なんだよ。
 標準作業と作業標準とを変えるために色々試しまくるし、そういう工夫って絶対必要なんだ。


 人間は「訓練」することでものすごい能力を発揮できる。
 ……でも、それは「ものすごく努力した人間」にしか与えられないもの。
 そうじゃないひとをも含めた「全員が幸せになる」ためには、訓練よりも必要なことがあるんだ。
 それが「どう訓練するか・何を目指して訓練するか」という、ルールそのものを弄ること。


 だから僕は、何度でも飽きることなく、こう言うことにきめたんだ。

  • 自らが変わることを恐れる必要なんて、どこにもないよ。
  • 選択肢のない未来を押し付ける必要なんて、どこにもないよ。
  • 「標準作業・作業標準」はみんなが守らなきゃいけないけど、そいつらは「現場による工夫の余地」を叩きのめすために存在してるわけじゃない。
  • 工夫をするためには、専用部品を使わず、できるだけ汎用部品を組み合わせよう。
  • 身近にあって、とても高い頻度で繰り返す作業から、まずはじめよう。
  • 君の努力は「努力した直接の対象」で報われることなんて、まずないよ。ほんとの効果は、十年以上経ってから「君の行動原則」に現れるんだ。

おまけ。

 もしも君が「自分のための配列弄り」に手を染めているなら、その「工夫しようとするチカラ」と「自ら変えることを恐れないココロ」は、きっとどこかで役に立つ。
 もしも君が「配列弄りというパズル」を制することが出来なくても、その点を気にする必要なんてないさ。君の「行動」が正しいことは、君の「未来」が証明してくれる*1から。

*1:未来の自分を決めるのは、今の自分の「行動」をコピーしたものから、そう遠くはないんですよ。「訓練」と「ルール作り」の両方を制するのは難しいけど、どちらか片方が得意ならば、「得意なほうを伸ばす」だけでも十分だと思う。