(メモ)「褒められなければ仕事をしないとかいうのが許されるのは○学生まで」とかいう屁理屈が許されるのは20世紀まで。

 「スマイルドリブンで動くシステム」って、どこかに転がってないのかしら……。


 ルールと理屈をきちんと開示したうえで、始業時ミーティングを可能な限り「称賛→喝采タイム」にしよう。たったそれだけで、毎日の空気ががらりと変わるのかもしれない。


 ……って書くと、この前の話と合わせて「今何を読んでいるのか」が透けて見えるのかな。わかる方にはピンとくるかも。


「褒められなければ仕事をしないとかいうのが許されるのは○学生まで」とかいう人がいるらしいのだけれど、個人的には「なんでそんなくだらない規制をするのだろう?」と思えて、不思議で仕方がありません。
 こういうのは、たとえそれが明示的なルールであったとしてもなお、よい効果をもたらすものなのに、それをわざわざ規制するなんてもったいないと思うわけで。


 まー、「方針の違い」ということかしら。
 少なくとも、私がここ最近読んできた本から得られた、全体のベクトルが指し示す方向性としては、「けなすよりも褒めるほうが遥かに難しいが、その分だけ効果も大きい。しかも副作用が無い。」という結論にしかたどり着くことができませんでした。


 結局のところ、

  • けなすだけならいつでもどこでも、馬鹿にでもできる。こんなものには技術もクソもない話。
  • ほめるためには「差を見つける力と眼」が必要で、「ほめるタイミング」を逃すと効果がなく、かつ「普段からの信頼関係がなければ(嫌味でいっていると勘違いされて)逆効果になる場合すらある」ことを認識し、ほめることによる効果が最大限に発揮される「空気」をきちんと醸成していくべく有言実行する必要があるので、一朝一夕に「適切にほめるチカラ」を習得することはできないというむずかしさがある。

という性質があるように感じています。


 もしかすると、罰則法を使いまくると「新しい発想を生むための空気が死んでしまう」のかもしれません。
 ルールというものは、うまく組み立てると空気のように作用してくれる(=ルールに頼らずモラルで動くシステムと、実運用上全く差異の無い効果を発揮する)はずです。
 自然のチカラ・常識・デザインによるアフォーダンスなどをうまく使って「そもそも、けなされなければならないようなトラブルが、はじめから起きないようにルールを表現する」とか、そういった方法を用いて根本対策を行っていくことにより、罰則法などなくてもシステムがうまく回るようにもっていくことは、不可能ではないのかもしれません。


 ……って、メールメモを切り貼りしただけなので、思いっきり散文的になってしまいました……orz。

2008年6月22日20:18:56追記。

 一応、もとネタは「応用行動分析」だったり……特に「タイミング」の問題とか、技術的なところはそこから得られると思う。
 それから、「岡野雅行さん」の本でも、たいていはこのネタが出てる……こちらは考え方について得るところが大きいと思う。
 ただし、「褒めれば伸びるなんて調子いい事いうな!」という話もある……のだけれど、そういうなかでもまっとうなところは「他のところでしっかりフォローする仕掛けを持っている」からそう言うことが言える、らしく。そういうフォローもしない「どうしようもないところ」と一緒くたにしちゃあいけないんですよね。
 人の性格なんて十人九十色*1だから、なかなか普遍的な方法は見つからないのかもしれないけれども、「褒めれば伸びる」というのは、ルールとしては良い話だと思う。

*1:十人の人が集まって、それぞれに自分と他の人を観察すれば、そこから得られる「外面的性格」なんて、10人×9通りが集まって九十通りになるのは当然……ってこと。