「感度の高い誰か」が「自然に使う」だけで、全体がうまく回る……そんな「ルール」の作り方があるのかもしれない。

 ルールというのは、基本的に守られません。これは定説人間が「めんどくさいこと・変わったことはしたくない」という生き物なので、仕方がないことです。
 そんな中で、「ただ規則を決めて、さあ守れ!と言う」と、ろくなことになりません……。


 そういうときには、【「感度の高い誰か」*1が「自然に使う」だけで、全体がうまく回る】ようにする方法を考えなければなりません。
 この条件は、ただの一つも欠けてはいけません。たった一つ欠けるだけで、「何で俺だけが、自分の評価に繋がらないことをしなきゃいけないんだよ……」という不満を生み、そしてそれが全体に波及してしまいます*2ので。
 それと、人間が10人いれば、かならず2割は「何を言われようとも絶対に従ってくれない」のですが、そこから2割を除去しても「残りの8人の中から、また2割何もしない人が出てくる」だけの話なので、意識系でどーにかしようとしてもムダです。


 ルールを決める上で、肝心なことはいくつかあります。それを箇条書きにすると、以下のようになります。

  • 「ルールを守らせたいと思う人(一般的には上司役の人)」でも「ルールがなくてもやるよ!という人(全体の2割)」でも「ルールあってもやらないよ!という人(全体の2割)」でもなくて、「ルールがないとやらないけど、ルールが決まればやるよ!という人(全体の6割)」に、実際のルールを作らせる。
    • こうしないと「守りやすく、改定しやすく、改善しやすく、多数派が納得できるルール」というのは出来上がらない。上司役や率先派に作らせると「確かに正論だけど、守りづらくてイライラする」ルールになってしまい、ルールを守る大勢がみな不満を抱えるようになる。
    • 逆に言えば、一般的な6割の人が守れるルールを作れば、「ルールがなくてもやる人」とあわせて8割の人がルールを受け入れてくれるので、ルールを守る各人が負うべき負担はかなり減る(これがかなり重要)。*3
  • ルールは「すべての人に対して均等の作業工数を強いる」必要はない。全体として「感度が高めの人がちょくちょく手入れし、それで補正できない状況になると感度が高くはない人も気づいて手入れする」というスタイルになる。
    • 感度が高い人が「もーやだー」と言って手を抜いたときに、かならず「感度が高くはない人が分担してフォローする」という形にして、「感度が高い人ほど損をする」状態が出にくいようにする。感度が高い人に対しては「感度が高すぎるから、もうすこし他の人と同じくらいに感度を落としてもいいよ」という風にフォローすることも重要。
  • 「自然に使う」だけでルールが達成されるように、ルールシートやログシートの作り方と置きかたを「人間の行動の仕方に添った形になるように」決める。
    • このためには「応用行動分析」をはじめとして、面白い資料が容易に書籍として入手できるので、そのあたりを色々とあさってみるとピンと来ると思う。
    • 【ドブ川のヘドロさらいを、川下からやりたいと思う馬鹿はいない】。この当たり前のルールをきちんと認識しよう。
      • 掃除を例に取れば、直後に大きく汚れると解っている場所を「汚れる直前」に掃除したいと思う人はいないし、せっかく綺麗にしたものを使って「それを汚してまで掃除したい」と思う人もいない。
      • 結果がたいして違わないのならば、それを行う順序を入れ替えテストするなどして「一番バカバカしさが少ないと感じる方法」を選ぶべき。こういうことは縮小社会実験(似たルールで、順序だけを変えて試験し、被験者が受けるストレスを定性的に拾って評価する)をすればすぐにわかる。文句が出にくい方法ほど長続きするし、文句が出まくる方法は絶対に3日で形骸化する。
        • 文句というのは「それはダメなルールだ」ということを示すアラートそのものなので、それを無視しないこと。意図的に何度も無視すると「アラートを投げかけても反応しない」と看做されてアラートを受け取れなくなり、結果として後々しっぺ返しを食らうことになる。
  • ルールを文字や図で指示的に示すのは極力避けよう。できる限り「現場で現物を使ったときに、視界に入って手が届きやすい方法」で示して、【そこに山があるから登る】を地でいくくらいの方法を選ぼう。
    • 何かに気づいて「行動したい」と思ったときに、思いっきり低コストで「それをやるための道具」が直感的に目に付き、かつ手に取れる状態であれば、図形指示などなくても「現物そのものがルールの代わりとして機能する」ようになる。直感性のあるインターフェースには、言葉など要らないのだから。


 ルールの設計というのは、簡単なようで、意外と奥が深いのかも……と、最近そう感じ始めています。
 そのうち、ルールに対しても「質の良いルール」とか、「質の悪いルール」とかいう風な評価が付く時代が来るのかもしれないですね。
 低コストで実現可能なルールが積み重なっていくことで、「高コストを要するルールの積み重ねでは絶対に到達できないような目標」が達成できる……とすると、ルールの設計というのはとても面白い分野になってくるのかも。

*1:2008年6月13日11:36:53追記……このルールを使うばあい、「感度の高い誰か」に対する負担が極端に高くなったときに、散々不満を溜め込んでから一気に不満を爆発させる可能性があります(私自身がそれを送り側・受け側ともに、何度も経験しました……)。そういう場合には、この方法を「定時運用ルールのバックアップとして補助的に使う」方向に振るほうが良いかもしれません。定時運用ルールでは「サボり癖のあるヤツはてこでも動かない」という予見可能なトラブルよりも、「たまたま失念していて忘れてしまった」という不測のトラブルのほうが致命的な結果を生みかねないので、そういったルールの補完用途として使うというのもありだと思います。ちなみに、人それぞれに興味関心の方向は異なるので、人と分野の組み合わせによってによってサボり癖の出方・感度は人それぞれに異なります……たとえば、「あいつは常にサボっている」といわれているような人ほど、「いなくなってみて始めて、ものすごく大変なことを全員分肩代わりしてやっていたということに気づかされる」とか、そういうことが起きてみたりするわけです。こういったことを含めて「全体を良く見る能力」がある人は、たいていが「適切に叱り、かつ適切に褒める力」を持っているものなので、そういった視点で周りを観察してみると面白いかもしれません。

*2:「表情と感情はリンクしている(だから「笑いのヨガ」のようなものが意味のある行為たり得る)」&「表情同士はリンクしている(そしてその表情は感情へとコピーされる)」ということを、決して忘れてはいけないのです。

*3:2008年6月13日12:01:15追記……解りやすくシンプルなルールというのは、常識やデザインと区別が付きにくいくらいに、その場に調和しているはずです。文字でわざわざ説明書きされているルールは「解りにくいから仕方がなくつけている」のだ、ということに気づくだけでも、この重要性は認識できるはずだと思われます。常識に近似させることでorデザインに近似させることでルールテキストを不要にできる可能性があるのならば、その方向へと調整するよう考慮してみるべきでしょう。