(たいとるおんりー)これから日本が生き残っていくために必要なのは、仕組みとしての「減産増益」なのかもしれない。
「(なにもかもが希薄になるコトが分かり切っている)長時間労働によって」生活できる、ではなくて、「いかに短い(しかし濃密な)労働時間で」生活できるか、というところを追求しないと、日本というシステムはこれ以上「延命」できないような。
すでに時遅し、の様な気もするけど、あるいは「サラリーマンの声を代弁する圧力団体」がないところが改善されれば、少しはよくなるのかもしれない。
2008年5月15日1:09:44追記。
政治宗教がらみについては書かない……といっていたのに、何で「圧力団体がどうこう」とかいうことを書いたのか、というと。
- 作者: カレル・ヴァンウォルフレン,Karel Van Wolferen,篠原勝
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ただし、長時間労働に頼り切って「それが原因で、生産性が希薄になっている……ということを認識できない」という雰囲気自体は、この国にだいぶ前から延々とはびこっている、ある種の病なんだろうなぁ……という、漠然とした不安はあります。
手順を変えることなく、「ただガリガリとやる」「ただ長時間やる」という方法が「永遠に持続的であり続けること」などありえないので、どこかにはターニングポイントが現れるだろう……と。
国が滅んで山と河だけが残っても仕方がないので、そうなるより前に、「滅びない程度に効率よく、滅びない程度にくたびれにくい」方法を見つけていかないと、この先どうなるのかは全く読めなくなってしまいそうな気がします。
「何も変えないこと=現状維持」というのは、たしかに低コストでできるので、どうしてもそこにとどまり続けたい……と思ってしまいがちなのですが、これは翻って「僕らは何も変えられない=世間様か何かの都合だけで、かってに物事が進んでいく」ということにもなりかねず、ある種の危険を抱え込むことになってしまうのかもしれません。
そうなるよりも前に、まず「ダメもとでもいいから、何を変えるとよくなるのかを考える癖をつけて、納得いったらサクッと行動してみる。だめならそれをフィードバックして次に生かす」という風に、PDC(PDCAのAは邪魔)ループをぐるぐると回す癖をつけてしまうといいのかも。
こういうことは「やっていくうちに、自然と良し悪しを嗅ぎわける力が見えてくる(暗黙知として定着する)」ところがあるし、「結果が出るかどうかにとらわれなければ、行動をきちんとすれば結果はだいたい付いてくる(自発的行動率が上がると結果は付いてくる……というのは、応用行動科学における「測定」の基礎)」というところも自覚できるはずなので、色々とやってみると面白いのではないかな……と。