ふと気づいたこと……固有名詞は愛着に通じ、一般名詞は無関心に通ずる。

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(関連:けん盤配列スレッドメモ。 - 雑記/えもじならべあそび)
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 ここ最近↓に書いたときに、「アルコール」と書いたところには、自分で違和感がありませんでした。

アルコール、ニコチン、カフェイン……こいつらは、要するに「(薬物を定期的に摂取させようとして)定時的に集中力(集中深度)を妨害*1する代物」なんだな。
(from 依存性薬物メモ。 - 雑記/えもじならべあそび )

 ところが、次に「ニコチン」とか「カフェイン」と連ねたときに、私は「固有名詞」を「一般名詞」に書き換える作業を強いられました。
 ……ここに、なにかヒントがあるのではないかな、と考えていたり。


 けん盤配列にも、この傾向はまったく同じように現れるように感じています。
 たとえば「かえであすか」。実際に「飛鳥カナ配列」をあれこれといじくっていたときには「こんなことをやっても、あまり意味はないだろうなぁ……」などと思っていたわけですが、いざ「自分でいじくった」あとに「配列名」をきちんと冠してやると、なぜか愛着がわいてくるんですよね……不思議なもので。
 どんなものにもいいところがあり、そして悪いところがある。そこのところを全部ひっくるめた上で「固有名詞」を割り当ててみることで、はじめて「左脳で理解できる言葉としての固有名詞」と「右脳で理解できるイメージとしての現物」との間に、きっちりとしたリンクが張られる……のかも、と。
 とくに「かえであすか」は、「飛鳥カナ配列」から色々なメリットを崩して「忘れにくさ」寄りに物事を動かした……ということで、他の配列との比較で「かえであすか」を語るよりも、よりはっきりとしたイメージがつかめるだけに、特に「固有名詞が割り当てられたもの同士の比較」については、個々人が持つイメージが強く絡んでくるのか知れません。
 #かつて「配列論争」が起こったきっかけには、こういうところが強く絡んでいたのかも。


 ……で、話を戻して、と。
 私はもともと「アルコール、ニコチン、カフェイン」にモロに依存していた気がしまして、今のところ私自身との依存関係を解消できたのは「アルコールのみ」という状況です。


 アルコールについては……もともと「ビール」しか飲めず、かつ「ヱビスビール」を好んで飲んでいた……のですが、そもそも「私がどうしてヱビスビールを欲してしまうのか」というところについては、さっぱり考えることなく摂取し続けていました。
 アルコールについては、非常に即時的で判りやすいデメリット──飲むと思考や判断力が妨げられる──があるので、これについては何とかしたいなぁ……とおもっていたのですが、「飲むのをやめなければならない!」みたいな意思依存系の考え方でやめようとしていたときには、まるで効果がなくて、結局食事のたびに【ビールが飲みたい……】などと考えていたりしました。


 そんなことを考えつつ、「なぜビールを飲んでしまうのか」ということについて、あれこれと考えているうちに、これがいくつかの要因の合成によって生じていることに気づかされました。

  • 目の前にあるから/レイゾウコ*1に常に用意しているから、飲んでしまう。要するに、喉を潤すことのため。
    • ところが、実際にはビールには利尿作用があり、簡単に言えば「体全体は潤わない」という矛盾点が。
  • ビールは「夕食時の食中食後に飲む」と決めてしまっていたので、それ以外の時には飲まず、そのときには飲むことが癖になっていた。
    • これについては、「夏は麦茶、他の時期はウーロン茶」とすることによって代用可能だった(=私の体がアルコールを欲しているわけではなかった)ことに気づかされたので、その方向で統一することにした。
  • いわゆる「銘柄指定買い」が「愛着」に通じている……ということに気づいて、そもそも「ヱビスビール」を手に取らないようにした。
    • これは飲むことが「習慣化」していて、かつその理由が「特定銘柄に対する愛着」に起因している場合には、結構意味があるのかも、と。

 こんな感じであれこれと「特定銘柄を指定しない」という方向でだらだらとやっていったところ、現状としては「特にアルコールがなくてもやっていける」ような状況になりました。


 アルコールには「少量なら健康を害しない」という話もあるようですが、こういう話を真に受けてしまうと「飲みたいと思ったときに、理由付けとしてそれを使ってしまいがち(仕組み系として作用してしまう)」ので、こういう話については「とりあえず信用しない」ことにしました。
 そして、「飲まなくても良いように仕組みを作って、ツラくない範囲から実行してみる」ということをしていった結果、とりあえずアルコールとの依存関係からは脱することができた……というのが、今の状況です。
 もっとも、この点に関しては「もともとアルコールへの依存度が低かったからこそ、こういう仕組み系だけでうまくいった」のかもしれませんが。
 それでも、たまにある「飲み会」では「場の雰囲気がお酒を飲む仕組みに傾いているので」飲んでしまう……ので、これはどうにかしたいところなのですが、このあたりについては「お酒を普段から飲まない人&車を運転する必要があってその場では飲んでいない人」を観察してみると、なにか発見が得られるのかもしれません。
 彼らがやっている「お酒を飲まなくても飲み会を楽しめるようにするための仕組み」をうまく取り入れてみることで、「自分はお酒を飲まなくても、普通に飲み会という場を楽しめる」のかも……と、今はそのあたりの観察&実行をもくろんでいたりします。


 次は「ニコチン」。これは今のところ依存関係から脱却できていません。
 私はいま「ピース・インフィニティ」という銘柄を吸っていて、かつては「ピース・アコースティック」、そしてその前は「ピース・ライト・ボックス」でした……ピースについては、「特徴的なパッケージの図柄と意図」に惹かれてしまった*2ところもあり、なかなか商売上手だよなぁ……と思わされていたり。
 私はたまにタバコの「喫煙制限」を試みることがあったのですが、たいてい長続きしませんでした。いまでもうまくいかない理由はわからないままなのですが、酒と違ってタバコは「摂取に必要なものを持ち運ぶこと&購入することが容易にできてしまう」ところや、摂取するための場所が多いことなども絡んでいるのかもしれません。
 

 タバコに関して「仕組み系でなんとかする」というのは、実は結構難しいのではないか……と考えていたりするのですが、酒には明確な短期的デメリット──飲むと思考や判断力が妨げられる──があるのとくらべて、タバコの場合にはそのデメリットが「長期的なものしか示されていない*3」というところが、「仕組み系としての【小さなゴール】を目指すうえでの阻害要素」になっているのかもしれません。
 タバコにおいての明確な短期的でメリットというのは、つまりは

アルコール、ニコチン、カフェイン……こいつらは、要するに「(薬物を定期的に摂取させようとして)定時的に集中力(集中深度)を妨害*1する代物」なんだな。
(from 依存性薬物メモ。 - 雑記/えもじならべあそび )

に帰結するはずです。
 とすると、喫煙習慣から脱出する上で必要なミニゴールというのは、【タバコを摂取するのをやめたときに、その効果をはっきりと、かつ短期間で実感できること】とすることなのかも……と考えています。


 この場合、「仕事上の集中力阻害を防ぐために」という理由でやめようとするのでは、たぶん長続きしないと思われます。
 一番集中力を阻害されてほしくないのは、たいていが「趣味を遂行する上での集中力阻害」のはずで……となると、このあたりが明確に判るように「見える化」する、というのも、あるいは一つの手なのかもしれないですね。
 だいたいタバコ関連で集中力を阻害され始めると、

  • 「ニコチンが切れはじめた」状態を感知してから、タバコを吸い始めるための時間は、だんだん集中力が落ちていく。
  • タバコを吸っている間は「休憩との区切りができていない」ので、休憩時間=喫煙時間として丸々無駄になってしまう。特に問題なのは、タバコを吸わずに「純粋な休憩」をしたときと比べて、休憩によるリフレッシュ効果が少ないところ……言い換えれば「休憩の体裁は為しているが、休憩の効果がない」状態に陥ってしまう。体感として、喫煙休憩(10〜15分)の効果というのは、飲料&黙想休憩(5分)よりも少ない気がする。
  • タバコを吸った後は「脳が軽い酸欠状態に陥っているのと同じようなもの」なので、生体維持に直結するような「作業(繰り返し行うような動作)」はそのまま行うことができても、「仕事(物事を考えていくような行為)」をしようとしたときに、かなりのパフォーマンス低下を感じる。

という問題が生じることは、すでに体感として得ています。
 ……とすると、喫煙習慣をやめるきっかけとして必要なことは、案外と「作業優先の内容から、仕事優先の内容へと、やることの目的を変えてしまう仕組みを作ること」だったりするのかも……と考えていたり。
 「作業」をする上では喫煙習慣による悪影響がなくても、「仕事」をする上では喫煙習慣による悪影響がでる(これは明らかなパフォーマンス低下を生むと思うし、十分に体感できると思う)となると、いかにして「作業を仕事へと転換していくか」ということについて考えていくことが、傍目にはまったく関係のないような「喫煙習慣からの脱却」にとって、最も有効な「仕組み」になるのかも……。


 そして、「カフェイン」については、もっと事情が厄介なんですよね……。
 今のところは大きな短期的デメリットが見出せていないのですが、基本的にはニコチンと同じく「マスク不可能な割り込み(Non Maskable Interrupt)」障害を引き起こすことは判りきっているので、これはどうにかしてみたいなぁ……というのが正直なところで。
 とはいえ、飲み物に関しては「水分を欲すること」と「カフェインを欲すること」のあいだを分離するのが難しそうなので、ここはまだ「ニコチン依存についてどうにかしてから」取り組むしかなさそうです。
 #水分の摂取と排泄については、軽視するととんでもないことになるので……このあたりは慎重に行く必要があるだろうと思います。


 結局のところ、依存系薬物との依存関係を断ち切るために必要なのは、

  • 「やめなければならない」という意思ややる気を持つこと。
  • 「やめないとどんなデメリットがあるか」というネガティブシンキングをすること。

ではなくて、

  • 「それをとらずに済ませる」という仕組みを作ること。
  • 「やめることでどういう短期的メリットがあるか」というポジティブシンキングをすること。

が必要なのかもしれません。


 ……で、ふと思いだしたのですが。
 私がやってきた「AZIK」「NICOLA(親指シフト)」「飛鳥カナ配列」についても、案外とこういうところが絡んでいたのかも……と感じていたり。
 上の例で言うところの「意思・やる気」で取り組んだのは「NICOLA(親指シフト)」だったような気がします。
 「ローマ字入力からNICOLAへの移行記録。 ( ローマ字入力からニコラへの移行記録。 )」にもチラッと書いていたのですが、あのころの私は「ローマ字略記の手書きメモが生成されてしまうことに危機感を感じて」、とにかくそこから「脱却しなければならない」という、「やる気ドリブン」でNICOLAに挑戦していました……そんな状況でエイヤッ!と取り組み始めてしまったので、たかだか4ヶ月程度で「こりゃダメだ」という結論に至ってしまったのかも、と。
 当時はけん盤配列を探すのも試すのも一苦労でしたが、そんな中でさえも「不満に思うことがちょくちょく見つかってしまい、それをなんとなく解消できそうなものを見つけてしまったので、結局は移行欲に耐えられなくなった」というのが、当時を振り返ってみての、現時点での感想だったりします。
 「AZIK」と「飛鳥カナ配列」については、両者ともに「現状よりももっと楽をしたい(=メリットを得たい)」という部分のほうが強く、両者ともに2年以上は使い続けたのと比べると、そういった「どこに力点を置いて取り組み始めるか」というところも、実は結構大きな要素として絡んでくるのかもしれません。


 うーん……「薬物依存からの決別」を裏返してみると、それはそのまま「けん盤配列への愛着」へと応用することもできる……のかもしれないですね。
 けん盤配列については「依存症」があるような気もするし*4、かといって「依存したからといって生命の危機や短期的デメリットに関わるわけではない」という気もするのですが、一般的に「2つの入力法を使い分けるなんてムリー」という話は定説化しているので、あとはどうやって「定説のうち、どういう条件ではその定説が成立しないのか」というところを表現していけると、何か変わってくるものがあるのかもしれません。
 個人的には「みなが使う共用アカウント専用PCには、今までどおりQwertyローマ字入力を使っていれば良い」と思うし、それと同時に「みなが使うわけではない占有PC/占有アカウント導入済みPCでは、わざわざ全員がQwertyローマ字入力にこだわる必要なんてない」と感じているのですが、なぜか後者についてまで否定されるときがあるような気がしていて、ここのところはどうにかしたいなぁ……と思っています。


 ……と、結局また脱線してしまいました^^;。
 結局、要約すると……

  • 依存関係を断ち切るためには「固有名詞を使わない」方向の仕掛けが必要なのかもしれない。
  • けん盤配列を認知してもらうためには「固有名詞をつけて、その固有名詞経由で配列イメージを想起してもらう」のが、手っ取り早く確実なのかもしれない。

という感じでしょうか。
 けん盤配列世界って、割と入力量や入力量が多い人にとっては、けっこう実用的で面白い分野だと思うんですけどね……それを導入しにくくなる要素をいかに減らしていけるか、というところについては結局考えが及ばないので、なかなか難しいところがありますね……うーむ。
 

もしかすると。

 ……これは単なる仮説なのだけれど、

  • 「○○配列はサイコー!他はみんなクソだ。」

というのは、実際のところ

  • 「俺は○○配列中毒だ!」

といっているのと、さっぱり変わらない場合というのが、往々にしてあるのかもしれない。
 使い手が配列について説明するときに、

  • 明らかに中毒症状がない方による説明。
  • 明らかに中毒症状がある方による説明。

こういう2者の解説には、大きなクオリティの差があるのではないかな……と、そんな気がしてみたり。

  • 「特定薬物中毒で、そこから脱出できない人が言う言い訳」
  • 「特定配列中毒で、そこから脱出できない人が言う言い訳」

の間に、何らかの関連性があるのであれば、それは結構面白い研究課題となるのかも……と。
 サンプル数が多いのは「JISかな・親指シフト」あたりになるのだと思うのだけれど、不思議なことにQwertyローマ字」についても「それ」をやってしまう方が現れ始めている*5ので、たとえば

  • Qwertyローマ字はサイコー!」
  • 「JISかな配列はサイコー!」
  • 親指シフト配列はサイコー!」

という文献を片っ端から拾い出して、それをマトリックスで分類しなおすとか。

× 選びに選んだ人 単なる中毒患者
Qwertyローマ字 Qwertyローマ字はサイコー!」 Qwertyローマ字以外はクソだ!」
JISかな 「JISかな入力はサイコー!」 「JISかな入力以外はクソだ!」
親指シフト 親指シフトはサイコー!」 親指シフト以外はクソだ!」

 こんな感じで綺麗に分類できちゃったりするのだろうか……などと考えてもみたり。
 「そこに自分にとってのメリットがあるから使っている」というのと、「それに中毒になっているから使い続けるしかない」というのでは、雲泥の差があるから……もしもそういう「特定配列中毒」というものが本当に存在するのであれば、それに対する「中毒との依存関係を解くための方法」についても、なにか必要になってくるのかもしれないですね……。

*1:ここに「冷蔵庫」ではなく「レイゾウコ」と書いてしまうのは、私の悪い癖で……ただ、仕事の絡みからここに気づかされたという事情もあり、ここではカタカナで記述しています。

*2:このあたりは「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B9_(%E3%82%BF%E3%83%90%E3%82%B3)」あたりを参照。

*3:これは喫煙関連サイトを見ると判りやすいのだけれど、基本的に(酒と同じで)長期的なデメリットが「仕組み系」のためには役立たないことは、今までの歴史を見ると一目瞭然なのかも。そして、それを知っているからJTは「(短期的なデメリットについては告知せずに)長期的なデメリットとしての疫学的調査結果をパッケージに印刷している」……とすると、ここは確信犯的に「告知をしているというポーズだけでやり過ごしている」という風に見ることができてしまう。

*4:ワープロ時代から利用している方の言動を拝見する限り、「依存性」の要素はあるのではないかな……と思わせるものがある気がする(これは人が原因というわけではなくて、古代の「キー配列と機器は不分別」という歴史の異物が一番悪い気がする)。最近使い始めたような方の言動を見る限り、「けん盤配列の乗り換えに対して否定的ではない」という共通項があるような気がするので、こういう場合には「依存性はない」と言っても良いような気がする。

*5:わざわざそんな余計なことはしないほうがいいのに……と、老婆心ながら思ってしまうのだけれど。