「多様性が許容されるヒューマンマシンインターフェース」であるべき論理けん盤配列が「単一性が求められるインフラストラクチャ」だと誤解されている理由は、単純に「それが認知されていないから&インフラである物理けん盤に紐付けされているから」に他ならない……と思う。
(過去:「キー入力入れ替えソフト」のJIS規格化を目指して。)
(未来:(メモ)【気づく化】=【良い気づきの種】=「デザイン本」+「非常識な常識本」+「第一感本」+「速読本」+「見える化本」=【視点の変更】。)
パソコンを隠せ、アナログ発想でいこう!―複雑さに別れを告げ、“情報アプライアンス”へ
- 作者: ドナルド・A.ノーマン,安村通晃,岡本明,伊賀聡一郎,Donald A. Norman
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 2000/07/15
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 26回
- この商品を含むブログ (26件) を見る
インフラが統一されていなければならない理由というのは、主に「多数の部品と多数の部品を組み合わせる必要がある」時に、これが必要となります。
たとえば放送規格。
いま日本では、ちょうど地上波の規格変更により、NTSC-JからISDB-Tへと移行が進んでいる最中です。
放送規格のうち、「インフラとして固定する必要があるもの」というのは、使用する電波の帯域であったり、NTSC-JやISDB-Tといった伝送に関する規格であり、これに付随してコピー制御などの話が混じってきます。
ただし、インフラではない「放送局内の機器(のうち、ISDB-Tに変換する前の素材を扱うもの)」と「受信側の機器(のうち、ISDB-Tから変換した後の素材を扱うもの)」については規格に縛られているわけではないので、たとえば家庭用DVD/HDDレコーダが「各社各様の機能・各社各様のGUI・各社各様のリモコン」を装備していたりするのは、割と普通に見かける姿だと思います。
統一されてないと困るのは「ユーザから見えないところ」であって、「ユーザから見えるところ」については、ユーザ自身が市場から目的に合う製品を選べる……と、それがインフラとユーザインターフェースの違いですね。
たとえばパソコン。
周辺機器をつなぐのはUSBであったりIEEE1394であったり……と、目的に応じていくつかの規格にまとまってきています。
ネットワークに接続するためのLANもそうですし、ユーザが直接触るものではないものについては、だいたい普及した規格のものがそのまま使われていて、あとは時代に合致するものへと移行して行ったりします。
ところが、ブラウザやOSなどを始めとしたソフトウェアや、キーボードやマウスやディスプレイといった「インターフェースが絡むもの」は、この原則に支配されていません。
ブラウザやOSなどについては「普及しているからこそ得られるメリットがある」のは確かですが、同じハードウェアの上で動く競合製品への乗り換えが、必ずしも困難とは言い切れない状況に移りつつあります。特に、今後Webアプリケーションが主体になっていけば、ブラウザやOSが何であっても変わらない(=ブラウザやOSからインフラ的性質が薄れて、インターフェース的性質が濃くなる)という状況になるかもしれません。
また、Webアプリケーション化だけではなく、既存のプログラムにおいてマルチプラットフォーム対応の製品が増えていることも、この「インフラからインターフェースへの立場変化」を支えているのかもしれません。それはオフィススイートとしてのOpenOffice.org*2であったり、WebブラウザとしてのFirefoxであったり、メーラとしてのThunderbirdであったり、あるいは文字入力方のひとつである親指シフト(を支えるエミュレータ群)であったりします。
……と、こういった「プラットフォームの違いにとらわれずに、使いたいインターフェースが選べる」状態が構築されることにより、次第に【かつてはインフラストラクチャだと誤解されていたことが、本来の姿であるユーザインターフェースへと回帰し始めている】ことを指し示しているのかな……と考えていたりします。
私は以前に【「キー入力入れ替えソフト」のJIS規格化を目指して。】というものを書きました。
……もちろん、実現可能性が低いことは承知しているのですが、少なくとも【かつてはインフラストラクチャだと誤解されていたことを、本来の姿であるユーザインターフェースへと回帰させていきたい】という思いがあることは間違いありません。
「人間が機械の都合に合わせて動く時代」から、「人間が使いたいと思うように使える機械がある時代」へと移っていく中で、数多くの家電製品が既に歩んで来た道を、まだパソコンはたどり始めたばかりという状況です。
かつては、多数の調整箇所があり専門技師がいなければ動かすことすら出来なかった「自動車」が、いまや自動車学校で基本を習いさえすれば、あとは車屋にメンテを丸投げしておくだけで普通に使える時代になったように。
かつては、「裸のモーター」と「それにつける部品(扇風機用アタッチメントや攪拌器用アタッチメントなど)」がばらばらに販売されていたものが、いまやそれらの機器に内蔵されてモーターのことなど意識しなくても使える時代が来たように。
パソコンもまた、時代を経ていくにつれて「より直感的で、より単機能で、余計なストレスなしに、自由にインターフェースを選べる」ように進化していくはずです。
パソコンの文字入力法については「ひとつに収束する」か「多様な選択肢が提示される」かは解らないものの、少なくともQwerty/JISX4063とJISX6002は生き残り続けるでしょうし、加えてケータイのカナめくりも自由に使えるようになる(か、全てがこれに取って代わられる)はずだと思います。
こういうときに、「ひとつに収束しよう」として何かをしていくと、時代の流れに従って「自分の意に沿わない入力法が選ばれてしまったとき」に、かならず誰かが犠牲になってしまいます。現状の流れからすると、この方向でパソコンの入力法を時代任せにすれば、生き残るのは自動的に「ケータイのカナめくり」になるはずです(母国語が日本語ではない人にとってさえも敷居が低いという事実から目をそらすわけにはいかないですし)。
仮にこうやって「ケータイのカナめくり」ただひとつに入力法が収束した場合、下手をすれば数千万人の配列難民が発生するわけで……これは誰にとっても幸せな話ではないと思います。
かつて、「ひとつに収束しよう」と考えた人たちの普及合戦に巻き込まれて、多くの方が実際に配列難民になった……という事柄を、私たちの先輩方は実際に経験しているはずです。
そして、何もしないでいれば、まったく同じ悲劇が、あと四半世紀もしないうちに繰り返される恐れがある……と、私はそこがとても心配なのです。
この点を解決しようとするには、【「キー入力入れ替えソフト」のJIS規格化を目指して。】のように、キーボード側ではなくシステム側でどうにかするほうが、より自然なのではないかと考えています。
(かつて実際に行われたように)キーボード側でこの手の対策をとろうとすると、どうしても「(モードズレが起きるなどして)システムとのマッチングが取れない」「特定の入力方式にとってしか役に立たず、全体にとっては役に立たない」などの問題が出てしまいますので。
この手の話について、どの程度関心が広がってくれるのか……勝間さん本を読まれた方による意見からすると、かなりかけ離れた状況になりつつあるような気がしていて心配なのですが、いまはとにかく見守ることしかできないのかもしれないですね。
2008年2月11日2:15:17追記。
うーん……仮に、ですけど、親指シフトキーボードについて言うと、上記の条件に合致するものと、合致しないものがあります。
合致するものは、キーボード側でキーコードを加工していない「USB接続の親指シフトキーボード」が当てはまると思います。ホントは親指シフトキーのキーコードが分離していてくれないと困るのですが、キーコードを加工せずに素直に吐いてくれる……という意味では、エミュレータ側との相性もよいはずですし。
一方で、困るのは、キーボード側でキーコードを加工してしまう「PS/2接続の親指シフトキーボード」ですね……この製品コンセプトそのものについて文句をつけるわけではないのですが、「エミュレータと組み合わせることによって、いろいろな入力法を実現する」というやり方とは相性が悪いので、そういう意味では上記の条件に合致しにくいと思います。
現状では「親指シフトを実現する方法が統一されていない/環境によって実装方法がばらばら」なので、こうして2つのやり方が並存しているはずなのですが、将来的には「キーボード側は普通の石を使って、本体に乗っているソフトウェアで実現する」方向に統一されてほしいところです。