日本語に主語はいらない (講談社選書メチエ)を読了。

(関連:名無しゾウは鼻がウナギだ!)

日本語に主語はいらない (講談社選書メチエ)

日本語に主語はいらない (講談社選書メチエ)


 この本を読んで、ふと思い出したのが、本書中で例示されている2冊。

限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

限りなく透明に近いブルー (講談社文庫)

EV.Cafe  超進化論 (講談社文庫)

EV.Cafe 超進化論 (講談社文庫)

 最近の自室清掃作業においてこの2冊は廃棄してしまったはずなのですが、いまさらになって「こういうところで引用されているなら、廃棄する前に原典参照しておきたかった」と、少しばかり後悔してみたり。


 この本を読んでいると、「なぜ学校での英語の授業が(私にとって)さっぱり理解不能だったのか」というところが、なんとなく見えてきた気がしています。
 いままでYoutubeで英語のコメントを頂くたびに「これは一体どういうことを言っているのだろうか?」と悩み続けていたのですが、最近私にとってまったく理解不能なコメントが一つついていて、ホントにどうしようかと参っていました。
 ところが、本書を含めた金谷さんの本にある「日本語と英語の考え方や構造の違い」というのを見てからは、ようやくそのあたりの「わけのわからなさ」が解消され始めて、機械翻訳の癖や挙動が見えてきた気がしています。


 えーごの授業ではさっぱりちんぷんかんぷんだった「日本語はSOV型」とかいう奇怪な話についても、「そういう分類自体が変なんだ!」と言われれば、ようやく納得がいくわけで。
 日本語ネイティブであれば「学校で習った日本語ネタがへんちくりんで解釈不能でも、実生活では支障がないからどーでもいーじゃん」と鼻で笑ってしまえるわけですが、本書を見ていると「そんなテキトーじゃ困るんだっちゅーの!」という、怒りの声が聞こえてくるような気がします。


 この本では、残念ながら私は(難解な説明に耐えられず)pp.189-220は読み飛ばしました……が、本書のほかの部分は私でも何とか理解できましたし、以前読んだ「日本語文法の謎を解く」の全体についてはとても読みやすかったのが印象的でした。
 なんというか、日本語の文法というと「煙に巻かれたまま」という感じがして無茶苦茶難しいという印象があったのですが、すくなくとも

日本語文法の謎を解く―「ある」日本語と「する」英語 (ちくま新書)

日本語文法の謎を解く―「ある」日本語と「する」英語 (ちくま新書)

の解法はとても解りやすくてよかったです。
 なぜに国語の教科書や英語の教科書でこういう方法をとらなかったのだろうか?と、今考えると不思議で仕方がないですね……。


 そういえば、この絡みについては、Rayさんから書籍の推薦を受けるよりもはるかに昔、jisx6004さんが取り上げていらしたことを思い出しました。
 その記事【名無しゾウは鼻がウナギだ!】が書かれた当初には

  • この話は、私にとってはまったく理解できない難しい話なのだ。

と思い込んでいて、まったく話についていけなかった……のですが、今思えば「あのときにこういう書籍に出会っていれば、当時の時点で記事の内容を理解できた」のかもしれず、ちょっともったいないことをしたなぁ……と思っています。


 本書に絡んだものを読むとすると、jisx6004さんが同記事コメント欄で推薦していらした

日本のことばとこころ (講談社学術文庫)

日本のことばとこころ (講談社学術文庫)

日本語はどんな言語か (ちくま新書)

日本語はどんな言語か (ちくま新書)

教養としての大学受験国語 (ちくま新書)

教養としての大学受験国語 (ちくま新書)

にほんご (福音館の単行本)

にほんご (福音館の単行本)

あたりが関連書籍としてイケてるのかも……このあたりは、必要に応じてチェックしてみたいところです。
 #私に理解できるかどうか、という問題はあるので、果たしてどうなるかはわからないのですが……


 いずれにせよ、この本を読めば

  • 日本語は非論理的でも奇怪でもない。
  • ( 〃 )めちゃくちゃ難しい言語というわけでもない。
  • ( 〃 )「愛らしく」「簡潔で」「魅せる」言語だ。

という気にさせてくれます。
 もしかすると、日本で「漫画」がそれなりに愛読された理由には、日本語が持つ「説明的な文章は、絵により丸ごと置換することができ、それをふきだしで再説明する必要がない」という特徴が絡んでいて、結果として「きわめてシンプルなふきだしを提示できた」というところも絡んでいるのかな……と考えてみたり。


 まだ日本語がらみの書籍としては、未読のものとして

英語にも主語はなかった 日本語文法から言語千年史へ

英語にも主語はなかった 日本語文法から言語千年史へ

象は鼻が長い―日本文法入門 (三上章著作集)

象は鼻が長い―日本文法入門 (三上章著作集)

現代語法序説―シンタクスの試み

現代語法序説―シンタクスの試み

現代語法序説 続―主語廃止論 (三上章著作集)

現代語法序説 続―主語廃止論 (三上章著作集)

があるのですが、これらはさすがに明日だけでは読めそうにないので、ゆっくり読んで行こうと思います。


 いっぺん記事が飛んで、調べなおしてから書いたので、ものの見事に就寝予定時間を90分も過ぎてしまいました*1……が、これは今のうちに書いておきたかったので、急いで仕上げました。
 ちょっと変なところがあるかもしれませんが、推敲不足と思われる間違いがあった場合はご容赦いただきたく。

ただし、冷静になって考えてみると……

 なにか、こう……金谷さんの話にも「やっぱり腑に落ちないところはある」とは思います。
 amazonのレビューを見ていると、「解りやすい」という話とともに「それはとっくに常識だ」という類の指摘が混じっているようなので、このあたりについては(この分野に首を突っ込んでいるわけではない)私がどうこう言うのは、結構難しいものがあるのかも……と思います。
 #実際、けん盤配列がらみについては「最近のものに限れば」なんとなく理解しているつもりではいても、過去のものにいてはそれほど理解できているわけではないですし、そういったところと似て「専門でやってこないとわからない違い」があるはず……という気はしますので。


 この件に関する批判検証についても、調べてみる価値がありそうですね。
 「鵜呑みにしたらろくなことがない」というのは、どの分野にとってもまったく変わることなく必要な姿勢だと思いますし。

ふと思うのだけれど。

 「議論」というか「喧嘩」というか、そういう方向に行くとおかしくなるのではないだろうか……と、かつてのけん盤配列における議論と重ねてみたくもなったり。
 単純に「実験」や「検討」の結果を「羅列」してみて、そこから皆で「ガラガラポン!」と答えを引っ張り出せる可能性が仮にあるのならば、そういう方向で検討してみる……という可能性が、あるいはあるのかもしれないと感じていたり。


 「批判」というのは、結局のところ「純粋な考え」に対するものであったとしても、それは「答えを出した個人」に対するものと分離できるものではないと思います。
 人間の思考自体が「得た知識と経験から作られた、脳内関数を通してフィルタリングされたもの」であるならば、そもそも「関数」と「関数を通して得た答え」が分離可能であるとするのは無理がありすぎるでしょうし。


 どういう分野でも、この手のややこしさはある……と思いますが、うまく多様な意見を集約して「初学者向けにはスッキリと、玄人向けにはキッチリと」した答えが見つかることを、切に願いたいところです。
 #いや、けん盤配列ネタにおいては「それはとんでもない難題だ」ということが既に判明している気もするので、他の分野でも難しいということは想像に難くはないとわかってはいますけれども。

*1:というか、記事が飛ぶ前の時点ですでに50分近くオーバーしていました……その時点でダメじゃんorz。