あなたが仮に、特定の入力法を習得することに失敗した(または、満足できなかった)とします。それは、あなたが悪いのでしょうか?

(未来:(メモ)【気づく化】=【良い気づきの種】=「デザイン本」+「非常識な常識本」+「第一感本」+「速読本」+「見える化本」=【視点の変更】。)


 理由はたくさん思いつきそうですが、少なくとも「あなた自身が悪い」と考えるのは「ただ一つも例外なく、常に間違い」です。決して自分を責めてはいけません。
 世の中には4M分析というものがあって

  • Man
  • Machine
  • Material
  • Method

かならず「人が要因」という部分がフォーカスされがちです……けれども、人が要因、という事柄については

時間軸×要因 あなた 他の人
過去 あなたは過去にしくじっていてもおかしくなかった 他の方が過去にしくじっていたのかもしれない
現在 あなたが今しくじった 他の方が今しくじっているかもしれない
未来 あなたが将来しくじるかもしれない 他の方が将来しくじるかもしれない

こういう事情があり、「誰がいつ失敗してもおかしくない」というシーンは、そこら中にあふれていておかしくはないのです。


 こういった場合には、思い切って

  • Man
    • 「自分が悪い」とは思わずに、他の要因を徹底的に探す。
  • Machine
    • 練習用の機材に不都合はないか(他の選択肢はないのか)。
  • Material
    • 練習用の教材に不都合はないか(他の選択肢はないのか)。
  • Method
    • 入力法そのものに不都合はないか(他の選択肢はないのか)。

について徹底検討&仮導入評価をすることが必要になってくるはずです。


 自身にとってあわないデザインのものを使い続けてストレスがたまりすぎる(=失敗体験がたまりすぎる)と、将来そういったストレスが「心の病」に形を変えて襲ってくる*1かもしれません。


 論理インターフェースとしての文字入力法は、かつての紙とペンの代わりとして、今のキーボードやマウスといった物理インターフェースとともに、かなり長い時間付き合う「直接的なヒューマン・マシン・インターフェース」の一つです。
 紙やペンについて吟味するのと同じように、文字入力法についてもキーボードのように「自身にとってあうものを、吟味して選ぶ」必要はあるはずです。
 #インターフェースという言葉でぴんとこない場合は「デザイン」と置き換えてもかまいません。「使いやすさはデザインに宿る」というのは常に真ですから。


 あなたが不満を感じていないのならば、とくに行動する必要はないでしょう。
 あなたがもしも不満を感じているならば、さっさと行動する方がよいかもしれません。

*1:そんな馬鹿な!とお感じの方は、

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論 (新曜社認知科学選書)

をご覧ください。もっとも、この本の中にも「引用した文献が間違っているらしい」ところがあるので、鵜呑みにできるというわけではなさそうですけれども。