いつの間にやら、使い始めて一ヶ月……。
さいきん段平さんから「最新版と290の差はどーなのよ?(注:意訳)」というコメントを頂いて、とりあえずの感想を記させていただいた……のですが、そうこうしているうちに「あしゅかはいれちゅ」の使用期間が一ヶ月に迫りつつある以上となっていることに気づきました。
#というか、ここのところオフラインが忙しくて、なかなか思うように日記が進まなかったり。
今使っているのは「あしゅかはいれちゅ改0訂0案8版」で、その後にひとつ・ふたつの問題点が出てきました……が、結局はそのままの配列で使い続けています。
かな系配列の場合は、結局のところ「(行段系配列よりは自由度があるとはいえ、)すべてにおいて理想の姿を追求することはできない」わけで、今のところの「あしゅかはいれちゅ」が目指すべき方向性においては、現行の改0訂0案8版かその近傍あたりが、最終的な答えになるのかなぁ……と感じています。
この辺はオーディオとも通じるモノがあるのかもしれないですね。
どこまで追求するか・どこまで気づくか・どこまで突き詰めるか……というあたりの感性や感度が人によって違う以上、最終的に到達する配列が差を生んでしまうのは、ある意味仕方がないのかもしれません。
例えば昔、私は漢触こーどというモノを作りました。もしもわたしに努力とか記憶力とかいうモノがあるのならば、本当は「親指シフト方式+漢直」で運用したかったのですよ……実際に「飛鳥21c290+漢触こーど」の定義はしばらく実用環境に投入していたのですが、結局は漢直部分を覚えることができず、(飛鳥の新版を評価打鍵し始めた時点で)この環境をお蔵入りにしました。
うーん……飛鳥の最新版は「動作経済の理屈に合う速さ」という視点では良いできだと思いますし、その方向性ではだいぶよい感触を得た……のですが、個人的には「ここにこのカナがなければダメだ!」という意図が強かった様に思う21c290と比べて、どちらかというと「ここにこのカナを置く方が速い!」という意図が強いように思う最新版は、使っていてどうにも【落ち着いて使えない・どうしても弄りたくなってしまう】気がしました*1。
いまでは実際に、配列はなるべく崩さず&方向性は大きく変えた「あしゅかはいれちゅ」などというモノを作ってしまった(そして使っている)のですが、何もせずにいると「あしゅかはいれちゅ」を一生使い続けてしまいそうで怖かったりします^^;。
動作経済からみた速さ=快適さと、人間が感じる速さ=快適さの間に、どういうベクトルでどの程度の差があるのか……という点については未だに判然としない*2のですが、このあたりについてはのんびりと追いかけていきたいと思っています。