「生産革新」「事務革新」では、どれぐらい「まっさら」にしなければならないのか。

(参考:2007年03月01日)

【注意】
 この文章は、Web上で拾える文章を読みつつ「テキトーにでっち上げた」ような状況です。
 私自身は革新活動を行うための専業会社に勤めているとか言うわけではありませんので、眉につばをつけてからお読み頂くことをおすすめします……。


 生産革新を行う上では、その行為自体が「改善(たとえば自動化とか、あるいはコンパクト化とか)」とは【全く異なる事をするのだ】という意識を強く持って、根本から・些細な事から見直していく事が重要です。
 ……もちろん、「重要」ではあっても「必須」ではないのですが、手を広げれば広げるほどにいろいろな発見をすることができるはずです。
 逆に「革新」は、後の「改善」をするための重要な基礎となる(改善レベルではできないような、初期に広く伝染してしまう事項について取り扱う)部分に絞って取り扱うようにする事も必要です。


 たとえば、富士通が作った「日本語電子タイプライタOASYS」は、初期の製品に関しては「改善」プロセスをほとんど含まない、純粋な「革新」プロジェクトだったと見なすことができそうです。
 あるいは、Rayさんが制作されている「飛鳥カナ配列」では、【継承=OASYS親指シフトというシステム】【革新=シフト方式と基礎配列】【改善=基礎配列の文字入れ替え】という3つのプロセスを経ていると見なすことができそうです。
 日本語入力法は、その多くが「継承・革新・改善」のうちいくつかのプロセスを経ています。この分野についての試行錯誤の様子を見渡すことにより、それらのプロセスを把握し、自分でやってみることにより、自業務への「考え方の展開」を図る事ができるかもしれません……。
 ゆえに「いちど自身が使用する【文字入力法】の変更を検討してみませんか?」と、そういう提案をしてみたくなるわけです。
 ……が、今日の本題はそこではなくて。

うまい説明方法が思いつかなかったので、とりあえず画像で掲示できる一例を。


 いわゆる「改善」プロセスの一つとして、古くから「事務処理の機械化・OA化」が進んできました。
 これにより日本人は「読みやすい文字」と「手書きよりは書きやすい環境」を得ることができました……それが上の状態。
 ところが、この時点で一つ、とても大きな事を見落としてしまっています。それは【手書き時代ではフォーマット(活字体)とデータ(手書き体)を容易に区別できたが、OA化により両方が活字になってしまい、視認性が劣化した】というところにあります。


 そこで、下のような「文字の大きさとフォントを変える」という事をやって「改善」しようとします……が、これを「改善」のレベルでやろうとすると失敗する可能性があります。
 「改善」では必ずしも作業手順が簡易的になるとは限りませんし、統一的に手法を使うという共通認識が生まれるとも限りません。
 そもそもこの方法、ワープロ専用機が「明朝体とゴシック体をあつかえるようになった」あたりから存在する、とてもオーソドックスな方法なのですが……Webショップ系から回ってくる納品書のたぐいですらも行われていないぐらいにマイナーな方法です。
 ……もしかすると、それ故に「コンピュータ出力の文字は見やすいが、コンピュータ出力の帳票は項目も読まないと理解しづらい」と誤解されているのかもしれません。


 そこで、「革新」の一つとして、「フォーマットとデータで使うフォントと文字の大きさの比率を決める=手書き時代と同等の視認性を持つ文章作りを目指す」という事を検討してみることをおすすめしたいと思います。
 もちろん、実践するかどうかは個々の判断にゆだねられるわけですが、こういう単純なテーマは「誰にでも検討するべきレベルが理解できる」ので、部門内に存在するほかの「革新の対象とするべきもの」を見つけ出すための教材として使えるはずです。
 #影響範囲がえらく広いテーマほど、「1から組み立て直す」ために向いている……ということで。


 ちなみに、この手のテーマを扱う場合には、こういう方の意見が案外重要だったりします。

  • 入社したてで、まだ右も左も分からない……社内の常識に縛られていないので、「改善」ではなく「革新」に直結するアイデアをひらめきやすい。
  • もうそろそろ退職で、「昔はよかった」が口癖の方……いまのOA化によって「ダメになった部分」をしっかり体感しているだけに、「改善」ではなく「革新」に直結するアイデアを山ほど持っている可能性がある。


 たとえば、入社したての方を指して「あいつはまだ業務のことを知らないからダメだ」とか言ってみたり、退職寸前の方を指して「あの人はもう頭が固いからダメだ」とか言っているような方は、特に注意。
 あなたの「常識」は「改善」のためには役立つかもしれませんが「革新」のためには役に立たないかもしれません。
 頭から否定してしまっては、話は始まらないのです。こういう場合は上記のような方の意見から「革新の種」を拾ってきて、それを「革新の力」へと変えるための努力を惜しまないことが基本といえるでしょう。

冒頭で「日本語入力法」を持ち出した理由。

 パソコンを使った「日本語入力法」は、もともと「手順の固まり」です。
 日常業務で「手順の固まり」を直すとなると、自分一人だけでその影響が収まらず、他の方を巻き込んでいろいろとやる必要が出てくる場合が多いと思われます。
 一方で、「自分が使うパソコンの中での手順だけを変える」日本語入力法の変更という行為には、つぎの特徴があります。

  • (自宅のPCを利用する場合は特に)他の方を巻き込まなくとも「手順の変更」ができる。
    • 近年のパソコンは「ユーザごとにアカウントを持って、そのアカウントごとに環境を切り替えることができる」ので、自分のアカウントで別の日本語入力法を用いても、他者のアカウントには影響しません。
    • ただし、会社でやる場合には「きちんと申請をして、許可が下りてから」やるようにしてください。隠れて未承認のソフトウェアを導入するのは絶対にダメ!それでは「ただのわがまま」と見なされてしまいます。
  • とにかくいろいろな方法が提案されている。そして、それぞれの入力法が【継承・革新・改善】の関係で複雑に絡みあっている。
  • 入力速度を「速くする」効果はあまりない(それは入力方法ではなく練習次第)が、入力作業を「楽にする」(速くするための伸びしろを確保することができる)効果がある。
    • 「回りくどい手順を取ろうが、簡便な手順を取ろうが、完成した成果物の品質が安定していればどちらでもかまわない」ということと、「同じ品質の成果物を得るためには、なるべく簡便な手順を取る方がよい」ということを、他者に影響を与えることなく確実に体感できる。
  • 未だに根絶への道筋すらたっていない「VDT障害」に対して、ある程度の明確な成果を提示できる可能性がある(たとえば、今提案されている方法の多くは、ローマ字入力に対して2/3程度の操作で日本語入力が可能である)。
    • (特に近年設計された日本語入力法は)制作者が長い期間をかけて「自分自身が入力法を使いまくって、なるべく楽に操作できる方法を追求する」例が多い。
  • (これは改善の分野になるのですが)それぞれの入力方法には「入力法を習得するためのコスト」がかかるが、それが「見た目の難しさと一対一で関係するとは限らない」ことを体感できる可能性がある。
    • これは「大量の文章を打った時に使いやすい入力法は、少ない練習量でも覚えやすい」可能性がありそう。作業手順領域で喩えれば「作業手順書がシンプル&コンパクト」よりも「作業動作がシンプル&コンパクト」であるほうが、実践する上では都合がよい……ということと等価かもしれない。
      • 私はたまたま「飛鳥カナ配列」という方法を選んだのですが、飛鳥の見た目がえらく難しそうだった割には「JISかな入力(ぬふあうえお……の配列)」や「Qwertyローマ字入力」よりも【習得開始から1年後の習熟度】が高かった様に思います。しかも、飛鳥は当時開発中で「入力規則の変更に関するアナウンスが連発していた」ために「必要に応じてアナウンスに準ずる練習をし直していた」中での話でして……。
    • 「一つの手順ですべての人に対応する」だけではなく「人に応じて手順を変更してでも、最終的な成果物の品質を安定させることを優先する」という考え方が納得できるようになるかもしれない。
      • 人間の運動特性は必ずしも画一的ではないので、一つの手順&一つの作業環境に縛り付けて「作業安全」と「品質安全」を保証しようとすると、「作業安全」と「品質安全」のどちらかに無理がくるか、あるいは全体的なパフォーマンスが最適化できないおそれがある。作業内容によっては「最終的な成果物の品質が保証できる範囲で手順&環境をいくつか用意し、作業者の特性に応じた手順&環境を適用する」という方法が有効であることを実証できるかもしれない。
        • 特に「セル生産」がこの方針を採用しやすい。体格差を考慮した作業台のサイズ変更などでは、すでに応用されているはず。

 ……と、日本語入力法に首をつっこむと「生産革新」や「事務革新」で役立つかもしれない視点を得ることができるはずだと思われます。
 仮に興味があるようでしたら、いろいろとお試しいただければ幸いです。