考える道具―ワープロの創造と挑戦を読了、なんとなく感想を。
(関連?:オフラインで最近、ちょっと苦笑いすることがあったのだけれど……そのまま書くと妙なので、心理学の話へと変換してみることに。)
最後の「座談会録」が一番面白かったりするのは……どうしてだろう^^;。
「同じ苦労をした同志」という感じで、神田さんと森さん*1の苦労話が面白いぐらいに一致していたところが興味深かったり。
そして、pp.230〜232では、森さんが興味深い発言をしている。以下は概要のみ……で、勝手に注釈を付けてみる。
けん盤配列製作者はなぜか皆が「製作には情熱を注ぐ」が「普及への情熱を注がない」。
……うーん……資金面・体力面の問題とかもあるしなぁ……。
東芝はユーザが望むものを採用する。それが親指シフトであるならば、もちろん親指シフトを採用するはずだ。ところが世論はそうではない。
……世論は揺れ動いているし、これからもまだ揺れ動くかもしれない。
というか、かつてローマ字入力が徐々に普及したのと同じく、ふたたび「バタフライ効果」を引き起こすような「小さなキッカケ」が眠っているのかもしれない。
JISの委員会に「けん盤配列製作者」を二人以上入れると、何時まで経っても意見はかみ合わない*2。
鍵盤製作者を排除した「日本語入力用鍵盤についてトコトン考える」ような委員会が必要で、それがなければ誰も決定結果を信用しないはず。
……うーん、ユーザ同士でも議論は起こるから、結局【HMIを一つに統一しよう!】と考える限りは、それはそれで結局また同じことになるような気もしてみたり^^;。
一つに決めるべきなのは、ユーザインターフェース(HMI)そのものである【キー配列自体】の定義ではなくて、ユーザインターフェースを実装するためのシステムインターフェース(MMI)である【キー配列定義方法*3】の定義と、【とりあえず収録するべき「デフォルト・セット」キー配列の収集】だと思う。
【一つの入力法で日本語打鍵者全員が幸せになれるッ!】などという発想は極めて独善的*4。
「小さな子供からお年寄りまで、皆が不平不満なく使える」単一な入力法が存在するかどうかは不明。
「超高速打鍵者から一本の棒で打鍵する人まで、皆が不平不満なく使える」単一な入力法はそもそも存在しない。
だからこそ、HMI段階の一本化ではなく、その前段であるMMI段階の一本化(と、多様なHMIをシステム的に許容できる仕掛け)が、どうしても必要になる……と。
1年前にとりあえず親指シフト「エミュレータ」と親指シフト「ソフトウエアロジック」だけをJIS化してみよう!という話を書きましたけど、この方向性を拡張して【「キー配列入れ替えソフト」相当機能がIMに乗っている状態】を目標とするのが、一番「より多くの人が幸せになれる可能性が高い」のではないかな……と、私はそう考えています。
森さんは「一つのHMIを選定する」という前提で【日本語入力法に関するJISの委員にキー配列設計者がいてはダメだ!】と説かれました。
一方で、私は「一つのHMI」ではなく「一つのMMI」を規定するべきだと考えています……すると、こう言えばいいのかもしれませんね。
【日本語入力法に関するJISの委員は全員「キー配列入れ替えソフト」相当機能の実装経験者と、「キー配列」設計経験者の混成チームにするべきだ!】と。
そこで「必要と思われる全ての入力法を実装でき、かつ必要に応じて簡易的な記法が使えるような、汎用のキー配列記述用定義書式を設計する」のが、実際の仕事になる……と。
……それ以外には、選択肢など存在しないような気がするのです。