オフラインで最近、ちょっと苦笑いすることがあったのだけれど……そのまま書くと妙なので、心理学の話へと変換してみることに。

自分×他人 他者には認識できる 他者には認識できない
自分にも認識できる 共通認識(既知の自分) 内的認識(自分しか知らない自分)
自分には認識できない 外的認識(他人しか知らない自分) 暗黙的認識不能(未知の自分)

 ユングフロイトのどちらがこういうことを書いていたか……ということすら忘却の彼方にある状況なのだけれど、この2次元的行段表には何かが足りていない気がした……ので、ちょっと付け足して「三次元的行段表」にしてみることに。

レイヤ1:観察者(≒世間様)が知っている世界

私×貴方 貴方には認識できる 貴方には認識できない
私にも認識できる 共通認識(すべての人にとって既知の自分) 内的認識(観察者と自分しか知らない自分)
私には認識できない 外的認識(観察者と貴方しか知らない自分) 暗黙的認識(観察者しか知らない自分)

レイヤ0:観察者(≒世間様)が知らない世界

私×貴方 貴方には認識できる 貴方には認識できない
私にも認識できる 共通認識(当事者にしかわからない既知の自分) 内的認識(完全に自分しか知らない自分)
自分では認識できない 外的認識(完全に貴方しか知らない自分) 暗黙的認識不能(すべての人にとって未知の自分)

 当事者同士(ここでは【私】と【貴方】)は「(自分が感じた限りは)真実であることを述べているはずなのに、互いに話がかみ合わない」ことはままあること……で、その理由を探すためには「観察者」が別途必要なのではないかな……と、そう考えてみたり。
 人間は「見たまま・聞いたまま・感じたまま」を理解することはできず、必ず「それまでに培ってきた、個々人の常識というフィルタを通してしか物事を理解できない」という特性がある……から、フィルタの関数が異なれば、当事者同士(ここでは【私】と【貴方】)が感じる「見たまま・聞いたまま・感じたまま」の内容に差異が出ても、なんら不思議ではない……ということ。


 文字入力法においても、「使おうとする練習法」「習得するべき配列の選定」などには同様のフィルタが掛かると予想されるので、そのフィルタをきちんと通過できるようにする必要がある……のかもしれない。
 普通の人間は「騙し」や「レトリック」ごときで惑わされることはまずない(ネット上ではそういう情報ほど伝播しやすい)のだから、後々から自分の首を絞めることになりそうな「騙し」や「レトリック」などを使うべきではないと思う。
 それと、「見たまま・聞いたまま・感じたまま」であるという意思表示をするためには、それを「自身のフィルタを通して得た感触であること」をきちんと説明することも重要、と。
 当たり前といえば当たり前なのだけれど、果たして文字入力法においてそれらを「合理的かつ違和感なく」表現する方法はあるのかどうか……その答えは、まだ出ていない。


(2007年2月23日10:22:36 一部を【暗黙的認識→暗黙的認識不能】に変更しました。)