日本の「日」が沈む日。

よくわかってもいないのに、とりあえず経済の話を。

 今、日本の経済は「午後4時」あたりにあるのかも。
 もう「最もまぶしい時期(=正午)」など過ぎ去り、「一番暑い時間帯(=午後2時)」すらも去ってしまった……そんな状態。

  • 高価で売れる「材料」がある国は、材料がある限り繁栄し続ける。
  • 高価で売れる「材料」がない国は、永遠に繁栄などしない。
    • 例外的に、ハードウェア的な「付加価値をつける」技術があれば、このループから抜けることができる……が、それは「永続的な発展」を約束してはくれない。
      • さらに例外的に、ソフトウェア的な「(情報と食料以外の)材料を必要とせず、付加価値製品をいきなり生み出せる」技術があれば、このループから抜けることができる……が、少なくとも日本では【ソフトウェア的な加工技術をもつ技師】に対する評価は恐ろしく低い。
        • 例) 特許関連(青色発光ダイオードなど)、コンピュータソフトウェア全般、製造技術(手順書・ノウハウ・工作機械など)、営業技術、広告技術、そのほか……。
  • 国。
    • 「永続的発展」──金を極力外に出さない。
      • 安価で買える「材料」のみを買う。
      • 「加工」は国内で行い、「材料+付加価値=製品」とする。
      • 高価で売れる「製品」を国外に売る。
  • 企業。
    • 「他社・他国との生き残り競争」──コスト対パフォーマンス比を追及しないと生き残れない。
      • 国がどうなろうと関係ない。
      • 最も安く「製品」を作れる方法を採る。
      • 付加価値をつける場所は、どこでも良い。
  • 国の繁栄を願うならば「国レベルでの出費を徹底的に抑えて、国レベルでの収入は徹底的に追及する」のが大前提。
  • 企業の繁栄を願うならば「企業レベルでの出費を徹底的に抑えて、企業レベルでの収入は徹底的に追及する」のが大前提。
  • 上記の関係は「発展途上」にある段階では「全く同じベクトルを向いている」が、「先進化」すると「ベクトルにずれが生じる」ようになる。


 「ハードウェア的な付加価値」は、他国との競争において「人件費」というハードルを越えられない。
 人件費を圧縮して「ハードウェア的な付加価値」を生み出すと思われていることに「作業の自動処理化」が挙げられるが、「作業の自動処理化」は手順のカタマリであり、作業を手順化するという作業自体が「ソフトウェア的な付加価値」である。
 ソフトウェア的な付加価値なくして、ハードウェア的な付加価値の永続的な付与などありえない……と。


 日本がもう一度(完全に日が沈んでしまう前に)光り輝くステージに上るために必要なもの……それは、【手順を変えて、今までと同じ結果を「より楽に(=より安全に・より短時間で)」出せるようにしよう!というスタンス】なのかもしれない。


 この点において、最も重要な視点は【全ての産業に対して、等しく能率向上を目指す必要がある……というわけではない】ところ。
 その「材料」が「どれだけ国外に依存しているか」を見て、「より国外に依存しているもの」に対してのみ「能率向上・ゼロエミッション化」を達成すればよい……つまりは【可能な限り国内調達で済むように、万事を手配する】ことが重要。
 国内でぐるぐるとループする部分については、(国外へと資金が流れるわけではないのだから)放置しても構わない……と。
 #もっとも、こういう問題は「めぐり巡って国外へとたどり着くもの」だから、結局全体の能率向上が必要になることは間違いない気もするのだけれど。

何が仕事を「楽に」して、何が仕事を「早く」するのか。

 「能率改善」の終着点は「何もせずに、一切時間をかけず、目的とする作業が完了する」ことにある。
 ……で、実際にはそういう風にはいかなくて、様々な関数に通して「一つの完成品」が出来上がる、と。


 作業関数の圧縮を試みる場合、「やるべきこと・できること」はとてもたくさんある……と思うのだけれど、個人的には「(パソコンを使う上で多用する)自身が使う文字入力法についての検討」が、一番手っ取り早く、かつ色々なことに応用が利く【改善手順を想起するための第一歩】になるのではないかと、そう考えていたり。


 文字入力法を「自分にとってぴったり合う方法」へと変える事による効果は人によってまちまちだけれど、大抵「入力速度が劇的に早くなる」ということはなくて、「入力が楽になる」という点が大きい。
 あまり速度的な改善が達成できない主な理由は「文字入力法が、人間の機能と密接にリンクする【ヒューマン・マシン・インターフェース】だから」という理由によるものなのだけれど。

 ……では、文字入力法の変更が「仕事を早く済ませる」ことに全く役立たないのか?というと、それは違う。
 ひとつに、文字入力法の変更によって「楽に作業できる」様になれば、その分疲労が減って「より他の仕事に対して集中できる機会が増える」ことを意味する……たとえば文章の内容とか。
 もう一つはもっと重要で、「文字入力法の変更」というプロセスを経験すれば、【ただ闇雲に、思いつきで物事を変えてみる】ということと、【十分に検討して、はっきりとした効果検証を行ってから物事を変える】ということの差を、はっきりと認識することができるようになる。


 先に書いたことをもう一度書くと、【ヒューマン・マシン・インターフェース】は「変えても作業が速く終わるわけではない」。
 これをひっくり返せば【ヒューマン・マシン・インターフェース】ではないものは「変えれば作業が速く終わる可能性がある」ということ。
 ……一見何の関係もなさそうに見える「文字入力法の検討(=楽をするために工夫すること)」も、そのやり方を水平展開すれば【早く仕事を終わらせるために工夫すること】に使える、と。

「日本語入力法の検討(or選択)」がもたらす、本当の効果。

 ……それは、人間にとって「楽に作業できる」手順を見つけるための知恵を得れば、機械にとって「早く作業できる」手順を見つけるために、確実に役立つ……と、つまりはそういうこと。


 「日本語入力法の検討(or選択)」には、日本の産業を「より楽に」することと「より高付加価値に」することの、両方を満たしてくれる可能性があるはず。
 ……あとのことは、全て「使い手による工夫」にゆだねられる、と。

「人間にとって楽である」とは何か。

 ……たとえばこんな感じ?
http://www.eurus.dti.ne.jp/~yfi/aska_arrangement/bin/typewrite_demo/vsmode.html
 注:Internet Explorer経由でご覧ください。
 ここに例示したもののみではなく、日本語入力法は多数提案されています

「機械にとって高速である」とは何か。

 ……たとえばこんな感じ?
http://nicola.sunicom.co.jp/compare.html
 「機械で打鍵すれば【早い】」という意味での例示。
 人間が打鍵すれば【楽である】になるはず……というところは前出のとおりで。

ここに書いたことは「冗談」なのか?

 「話を広げすぎ」だとは思うけれども、「冗談」というわけではないような。
 ……実際、【低頻度な文字編集操作よりも「高頻度な文字入力操作」に【改善の手を加える】ほうが、より「無駄な動きの排除」という目的を達成できる……はず。】に書いているような考え方は、作業改善を行ううえでの「基本」と結構被っているはずですし。


 とりあえず「思いついたものから手当たり次第にやってみるッ!」とかいう状態を脱することが目的であれば、「日本語入力法の変更を検討してみる」というのは面白いテーマになると思います。
 金銭的に重い負担になるわけではなく、おもな負担は「再学習コスト」になるはずなので……「カネはかけたくないが、コストに見合う時間はかけても良い」という場合には、とても向いているはずですし。


 ひとまず、「日本語入力の手順を変えてみると、いったいどういう初期負担があって、どういう改善効果があるか」を試してみることをお勧めしたいところです。
 「初期負担(cost)がある」というところは「むやみに手順を変えまくると、そのたびに効率ががた落ちする」点について痛いほど良く解るはずです。
 「改善効果(benefit)がある」というところは、日本語入力であれば【慣れた状態で「楽に」なったかどうか】で推し量ることができるはずです。
 日本語入力法の変更を通じて、「コスト対ベネフィット比」についての感触を得ることができれば、その経験は他の分野で行おうとしている改善活動にも、有効に役立つはずです。

「日本語入力法の検討(or選択)」とあるが、【究極のものが一つ】あればいいのではないか?

 ……それは「複数人で試してみれば、【究極のものは一つ】なのかどうかが解る」はずです。
 答えは既に出ていますが、「あえてその点から検証する」という行為もまた、無駄になることなく将来に生かされるはず……と、私はそう考えています。
 #【例外処理に耐えられる手順書】は、こういった作業を経てはじめて書ける代物なのかもしれません。