こんな自分がすごく嫌です。
(参考:Wikipedia:削除依頼/飛鳥配列 - 版間の差分)
この件に絡んで延々と悩んでいるのですが、もしかして今のWikipedianが共通認識として持っている意図は「有名なものは良い、無名なものはダメ」なのかな……と感じ始めています。
……いや、私自身もそう思っていました。
ところが、Wikipediaの方針文書を読んでいくと、どう考えてもその基準では説明できないんですよ。
私が読んで理解した結果を端的に表すと、「Wikipediaは事実を創造する場所ではない。」という言葉以外に、うまくWikipediaの方針を表現できない気がするのです。
その考え方でいくと、飛鳥配列 - Wikipediaからは次の文を排除する必要があることになります。
# 配列考案者自身がごく一般的な日本語キーボードを用い、長時間の評価試験をしつつ無理な指運びを排除するという手法を繰り返すことにより、結果的としてはエルゴノミクス(ergonomics)対応を行っている配列でもある。
# 従って、いわゆるエルゴノミクス対応キーボードを用いる必要は無く、一般的な日本語キーボードを用いる方が、利用方法としては適切である。
(from http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E9%85%8D%E5%88%97 )
これは「まとめ・独自の見解」なので(Rayさんはエルゴノミクス対応という表現を使っていないはず)、「Wikipediaは事実を創造する場所ではない。」というルールには引っかかってくることになるはずです。
こんな自分のどこがいやかと言うと
Wikipedianの暗黙知よりも、Wikipedianの方針を優先させてしまうあたりとか……。
……って、暗黙知が間違っているかもしれないから微妙なのですが。でも個人的には(Wikipediaにおいて)すごく嫌な立ち回り方をしていると思います。
結局
Rayさんが情報処理論文を一本書けば、全て丸く収まるんですよね……orz