カナ文字入力における【使いやすさ】って、一体何を指すべきなのでしょうか…

 単なる見た目の解りやすさだけであれば、本来的にはいわゆる「50音配列カナ」がもっとも解りやすい気がするのですが…これの打ちづらさを証明するかの様に「ナラコード」が生まれている事を見ると、やはりどうにも実用配列としては問題がありすぎるようです。この手の配列の問題は主に「頻度と配置位置が一致していない」「思わずカナ順をつぶやきつつ打ってしまう」って事か。

 ローマ字綴りを知っている人向けの配列としては「Qwerty配列ローマ字入力」が比較的取り組みやすく、そうでない人には旧JIS配列かな入力があって…と、とりあえず人様に薦めるときにはこのどちらかを薦める事にしています。
 理由ですか?それは当然「どのPCでも使えるから」って事でしょう。言葉に標準語が必要な様に、どうしても標準的な配列を一つ覚えておかなければなりませんから。
 (これで済む人に飛鳥が必要か?と聞かれると…微妙かもね。)

 ニコラの場合は…どうなんでしょ。俺的には、AZIK/ACTの木村清先生による「ロールオーバーが使えない」「バタバタという打ち方」と言う表現が、「ニコラにおける親指シフトキーの使い方」を、もっとも端的で適切な形で表現していると感じました。
 俺はてっきり、木村先生がすぐにニコラを捨てたからこう書いたのだとばかり思っていましたが…自分も数ヶ月間エミュレータ相手に格闘して、ようやく「まさにそのままだな…」って事に気づいた訳です。
 少なくとも、一度ローマ字入力が持つ連綿打鍵の感覚になれてしまうと、ニコラをやっても全然納得できない状態に陥る事は確か(もちろん、ローマ字入力やJISカナが全くダメでニコラに移行したという人にとっては、これのどこが問題なのかも把握できないはずですが…)。

 で、飛鳥配列。ニコラのカナ一致とローマ字の連綿打鍵感を半分づつ拾ってきた様な、不思議な面指定方法を取るので、どうしても「えー、それって面倒なんじゃねーの?」って気になるはず…ってゆーか、最初の数週間とミスタッチが連続してしまったときには「うわっ、また面倒な事になったな…」なんてなってしまうのですが、慣れてしまうとこれが意外なほどしっくり来る様になります。

 実際問題として、(少なくとも自分が打っていて感じる限りは)「どこにキーがあるのか」なんて事を思い出そうとしても無理なのですが(もちろん今でも)、そんな状態であっても「指は」だいたいの位置をきちんと指し示していて、一度慣れてしまえば、さして誤打鍵することなく打てる様になります。

 ちなみに、誤打鍵ってゆーのは「キーを覚えていない」から起きるとゆーよりも「記憶から連想された位置と、実際に割り当てられている文字とが異なる」から起きているとゆー方が、キー配列に関する表現としては、より正確だと思います。
 この「イメージと現実との差異」をもっとも良く知る事ができるのはローマ字入力でして…それこそ、Qwerty配列で「か」って打つときは、普通[k][a]のキーを頭の中で探す訳ではなく、「右手中指を押し下げて、そのまま反動を付けて左手小指を押し下げる」とゆー反射神経的な動作のみしかしていませんよね。同様に「が」って打つときは「左手人差し指を横に伸ばして打ち、手を戻しつつ反動を付けて左手小指を押し下げる」…って感じで。いやむしろ、始点と終点を結ぶベクトル的なイメージしか、頭の中には浮かんでこない人がほとんどかも。
 それこそ、入力練習をし始めた当初は[k][a]とか[g][a]とかの「文字としての手がかり」を探しているのですが、結局はそのうちその手がかりを使う事自体が飛んでしまって、運指パターンのみが残った状態で文字を打鍵するようになるわけです(コレができる状態をタッチタイプという訳ですな)。

 そうすると、キー配列ってゆーのは結局「特定の運指/キー打鍵順を示すベクトル」があって、その運指方法を習得するためのツール…というか手掛かりとして「ローマ字」とか「カナ文字」をキー上に貼り付けているだけ、と考えるのが自然なんですよね。
 端的に言えば「始めに運指ありき」が、もっとも打ちやすい状態な訳です(至極当然ですな)。

 ところが、多くの配列は「始めに手掛かりありき」で作られていて(ニコラの濁音・半濁音面や、JISかな配列の小書き文字がその良い例)、「そこにその文字がある理由」が、単に「基本となる文字から連想可能」というレベルに終わってしまっています(基本文字に、特に理由もなく束縛されているとゆー状態)。

 飛鳥配列には、シフト面切り替えを多用するシーンにおいてはどうしても「親指シフト」的な「シフト挿抜操作」を必要としてしまうので、そういうシーンではニコラと同様に、親指シフトキーと文字キーを対にして打鍵せねばなりません。
 そういう意味では「始めから面倒が多い」親指シフト方式シフトなのですが、それを「よく対や連になる文字同士を集めて同じシフトに置く」事とし、「同じシフト面が続くときには親指シフトを押したままで(小指シフトと同じような感覚で)打鍵する」とゆー、ニコラ的ではない親指シフトの使い方をすることによって、特定の連なりに関してのみという制限はあるものの「シフト面に追いやられた…という否定的な文字としてではなく、同じグループにある似たもの文字として逐次打鍵できる」様にしているのが、いわゆる飛鳥配列に対する見方の一つとしては適切なのかな…とか思ってみたりしました。
 
 …って、こんなに長い事書いていても、立派な事は一言も書けなかったな…反省。