今週のお題【東北地方太平洋沖地震】

(お題:今週のお題は「東北地方太平洋沖地震」です - はてなダイアリー日記)


 以下の記録は、被災後〜foma網でPCが接続できるまでの間に書き溜めていた、手書きメモ+テキストメモのコピペです。
 かなり混乱した中で書いていたので、不適切なところがあるかもしれません……が、一旦そのまま投稿します。

今日の日記は、東日本大震災の後に、電気が復旧してから書き溜めたものです。

 私が生きていれば、ネットワークが復旧次第投稿するつもり……そのときまで、絶対に生きてみせる!という思いで書いてます。
 この日の日記は、地震が起こったとき以降の紙記録やタイプ記録を雑多に記録してます……ので、散文的で読みにくいと思いますが、その点ご容赦ください。とてもじゃないですけど、推敲してる余裕とかないので。

地震が来た、そしてわたしは泣いた。

  • 3分程度にわたる大きな揺れ、地震シミュレータでも体験しないようなレベルの大きさに、現実味がなかった。そのあとの惨状など全く予想するに至らず、「今いる建物が潰れなくて良かった……まだ生きている。」とわずかに安堵した。このときは、地震津波のことも、食料&燃料調達が困難を極めることも、まるで考える余裕がなかった。
  • 午後2時40分頃に地震があり、その後外に出てから地震雪に降られ、雪が止んだ頃から徒歩帰宅を試みた。歩行者間でお互いに交通情報をやり取りする(送受信する)方法がないが為に、誰もが足で稼いだ情報しか持ってない……ゆえに、みんな半ばパニックで「無言のまま、先に道がないとわかっても進むしかない(そして結局は戻る)」という状態。こーゆー「ケータイの電池は生き残ってるけど、とにかく情報が薄い」時に「端末同士のP2P方式での、情報交換」ができないいまの電子機器が、どんだけ役に立たないかを知った……それがあったら、初期の浸水地帯の取得とか、電池がまだ残っている初日の「被災者」の行動が、相当に変わったのではないかと思う。あとで知った津波の話も含めて……。
  • 地震後14時間にわたって、全く安否連絡が取れなかった。こんなときに生きると思っていたwillcomのネットワークは「停電」によって機能しないし、こんなときに生きると思っていたdocomoのデータ網も、自宅にたどり着いてfomaカードを入れた時点で既に「近所のアンテナ&メールサーバーへの経路がコケた」らしく、実用上役に立たなかった。結局、2日後に避難所の給水時点で、はじめて友人二人が生きてることを「通信ではなく、リアルに」確認できた……けど、とにかく連絡網がもーずたずたになってることを知った。
  • 13日には『私達と同じ被災地』の長野県から消防車が来て、先導者に連れられて目の前を駆け抜けていった。そして14日には『はるか遠く九州や四国の』佐賀や香川から、三日三晩4交代・トイレ&給油以外ノンストップで宮城県に消防車が駆けつけてくれた……彼らの『不屈の互助精神』に、しばらく涙をこらえ切れなかった。
  • 美空町か、花山村か、あるいは20年前*2にタイムスリップしたのか……というくらいに、恐ろしいほど満天の星空が輝いていた。普段はただただ邪魔で鬱陶しいと感じていた外光がなく、普通なら美しい空を満喫できるはず……なのだけれど、度々続く余震と、そう遠くないところに見える赤くて禍々しい炎*3を見るに、むしろ余計に不安感が強まってしまった。もう二度と、地元ではこんなことが起きて欲しくない……ので、そのときの夜空の写真は怖くて撮影できなかった。
  • 地元紙の河北新報が、自社設備ではダメで新潟から発行されていた……神戸→京都のリレーに関する話はテレビで見聞きしていたけど、それが宮城→新潟でも現実になってしまった。
  • ラジオのアナウンサーが、凄く気丈にアナウンスを続けてる……と思いきや、ほんの数十秒だけ被災者としての弱音を吐いて、そこからもう一度切り返して引き続きアナウンスを続けていた……人間だから仕方がないよ、と思いつつ、『彼自身も被災者なのに、今そこで同じ時間を共有しつつ、使命を全うし続けている』ことが、とても心強く感じられた。情報だけでなく心情的にも助けられた気がする。
  • 地震後の津波で家を流された親族がいるし、ウチが津波に流されなかったのは『たまたま幸運だったから』に過ぎないことを、あとから情報を整理してみて気づきゾッとした。今でもまだ連絡のつかない友人知人がたくさんいる。そんななか、私が今、ここに生きている!ということが、正直信じられない。

災害対応として、まず考えるべき概念

  • 地震があったら、津波と火災がセットで襲ってくる……地震よりも津波と火災のほうが、深刻な被害の起きる範囲ははるかに大きい。特に津波は「想定するより高く、地震で弱った堤防をぶち壊して、破壊的な勢いで襲ってくる」ので、とにかくさっさと高台に避難せよ。
  • 災害にあったら、常備薬が入っていた「カラ」は捨てるな。
    • PTP錠剤の残りかすとか、粉薬の袋とか、調剤薬局から渡された複合粉薬の解説書とか……こーゆーのがないと、電子カルテがこけてる停電状態では、薬の処方を受けることができない恐れがでてくる。
  • シングルソースに頼るな。ミックスソースを前提に普段の生活を構築せよ。
    • 復旧速度を考えると、「LPガスレンジ2口+反射式石油ストーブ1台」が必要ッぽい……けど、これは火災の可能性もあって結構厳しいので、余震がある中で使うには「24時間体制で誰かが火を監視できる場所」でしか使えない。
    • 電気が復旧した後のことについて考えると、「ほぼオール電化石油ファンヒーター」が良いのかも。飲料水はなんとか確保できても「トイレを流す水」は確保しにくいので、そこに流用できる電気温水器は(地震で破損しなければ)有用かも。
  • 標準化されていない部分について考慮せよ。
    • 先の阪神淡路大震災を通じて「カセットコンロ・カセットボンベ」は標準化されたが、未だにケータイの「マイクロB端子」への標準化は進んでいないので、結局は「AC→USBアダプタ」と「シガーライターソケット→USBアダプタ」というソース&「USB→各社ケータイ対応給電ソケット」の組み合わせは準備することが望ましい(自分だけじゃなく、周りの人でも使える方が、いろいろな面で有利)。
  • 避難所で得られる電源を使う場合、使用用途は「連絡」「メール」がせいぜいで、限度も「ワンセグテレビ試聴」あたり。よりにもよって、これを「ゲーム」に使って、それがいざこざの原因になることも気づかないアホがいるみたいだけれど……そーゆー「空気読めない人間」にはならないように注意(避難の必然性が薄いと判断されたら、最悪では避難所から追い出されるよ?)。
  • 計画停電は「必ずある」ものと思え。計画停電どころか、突発停電すらおきうる。この先、電力ベースを支えるはずの原子力発電所はクソの役にも立たず害だけを振りまく可能性もあってアテにならないから、基本は省エネ/コージェネレーションを押さえる必要がある(そして電気は数日で復帰するので、それを期待しつつ耐えしのぐ)。
    • 計画停電をやる地域にいる場合には、「期間中は、使わない機器は全部コンセントを抜く」ようにすること。そして、できれば停電直前に、安全を見て自主的にブレーカーを手動で落とすことが望ましい(周囲の電圧変動に揺らされて異常動作になることを防ぐため)。
    • 計画停電から復旧した瞬間には、一気に100Vにはならずに、当初数秒間〜数十秒間は電圧が不足した状態で機器が起動するために、起動不良を起こして故障することがある(交流カゴモーターは異常振動するし、スイッチング電源は低電圧高電流で動作するタイミングが長くなったり、周囲のフライバック電圧の影響を受けたりして、故障する恐れがある)。そのため、計画停電からの復旧後は、まずブレーカーはOFFのままにして、かつ可能な限りコンセントを外しておいてから、ブレーカーをONに復帰させることが望ましい。
    • 地震直後にブレーカーを落とすのは、安全上必ず必要。そして、地震直後にブレーカーを立ち上げる際には、かならずブレーカーをONにするまえに全ての機器をコンセントから抜き、まず近場の照明だけをONにしてブレーカーをONにする(この時点でブレーカーや漏電遮断器が落ちた場合は屋内配線が切れ掛かっている場合が多いので、むやみにそれらをリセットせず、電気保安協会の人間が漏電検診をするまではブレーカーや漏電遮断器を操作しないこと)。次に機器のコンセントを『ケーブルが潰れたりしていないかどうか目視確認して、異常がないものだけを選びつつ』一つずつコンセントに指してみて、異常動作(目)・異音(耳)・異臭(鼻)・異常振動(触)の四感を駆使して動作確認を行い、異常がある機器はしばらく使わないようにする。こうしたところの検診を怠ることによる火災は、地震停電からの応急送電に伴う電気火災の原因として、度々発生していることに注意(特に、ブレーカーを落とし忘れたまま、地震で物に埋もれたモーター搭載機器・当該機器ケーブルから発火するという事例は多い)。
  • 受診障害があるために、普段からケーブルテレビネットワークを使う地域の場合、「ケーブルテレビの基地局や経路が寸断されて、地上局もBSも映らない」可能性があることを考慮せよ。そういう地域では当然地上波UHFアンテナを上げても受診できないけど、そーゆー地域でも「中華鍋をつけておけば、BS/CSは見ることができる」場合が多い……普段はBS/CSを見なくても関係なく、地上波/BS/CSに対応するテレビを買ったら、中華鍋をつけてBSが見られるようにすること!ケーブルテレビの地上波が見られなくても、自宅中華鍋でBSが見られれば、だいぶ情報はえられる。
  • 宮城のIXがコケた影響で、県内のネットはまるで使えない。テレビ&ラジオじゃ得られない細かな情報は、正直ネットに頼るしかない……ハズなのに、それが使えないのは心細い。もしも東京のIXがこけたらどうなるんだろう?日本海側には十分な回線容量があるのだろうか?日本国内では「太平洋側と日本海側との、2本線で梯子を掛けたようなリングネットワークループ」はあるのだろうか?とか、そんなところも心配になる。

災害対策住宅考

  • 玄関近くの部屋で、反射式ストーブ使えるよう非気密(または自然換気口付き)である。
  • 反射式ストーブと、その燃料の石油(石油は年中問わず備蓄するために、風呂釜なども石油にするといい……普段の給油は寒いけど)
  • コンロは「LPガス2口、電磁調理器2口」の併せて4口。日常はガスを給湯器にのみ使う。
  • 手洗い場給湯はガスか電気。
  • 風呂は石油かLPガス。
  • 太陽光発電地震で壊れやすいので、剛性を確保できないときはパス(夜に電気を得られないから、夏場以外は単独運転しても無意味かも……調理できればいいという見方もあるけど)。都市ガス発電は単独運転できるシステムがまだないらしく、ガスの復帰が遅いこともあって被災時にはメリットがない。
  • 海側が入り江になっておらず、地盤が固く、海抜30M以上の緩やかな斜面の中腹に、コンクリ平屋建てで。2Fでもいいけど、1Fだけで避難生活をすることを考えると、衣食住が1Fに押し込めて、2Fは趣味や通常寝室くらいに使うように考えて設計する必要がある。風呂→トイレへと水が流せるように、ユニットバスかそれに近い距離でトイレが1基あるといい。トイレは絶対に「停電断水時でも、外部からバケツ半分〜1杯の水を流せば、詰まることなく概ね汚物が流せる」節水構造&停電対応のものにすること(ウチはINAXの最新安物にしてた……これは◎で、風呂水を相当に長持ちさせることができている)。風呂の水も断水した途端に貴重な水となるため、これのうちバケツ1杯で流しきれるかどうかは、結構重要だったりする(綺麗に流しきれる必要は全くない。下水のポンプが止まっていても、詰まることなく流せること──サイフォン効果を使って強制的にに流せる仕掛けとか──が重要)。

被災時に活用できるので、普段使いを習慣化しておくべきもの

  • auとドコモのケータイ。第一優先がau、第二優先がドコモ。PHSは「電柱に親機をくっつけた、光接続の家電」なので、年末年始とかの超高負荷に耐えるには有利だけど、地震津波+火災という大規模災害では、復旧の見込みが立たなくなる。
  • 単3の乾電池……とにかく乾電池は単三の1種類で全て使えるように、同じ給電インターフェースを持つ機器を選択する
  • 1セグテレビ付きケータイ+手回し発電機付きラジオ(ラジオ部は電池駆動で……これ用の電池は単3に統一)
  • 夜道対応の、単三電池1本で長時間使えるLEDライト(これも単三で……20本くらい予備に)と、それを差し込んで使える空きの薬ビン(普段はペンたてとかに使っておいて、非常時にはライトのクチが上向きになるように差し込んで、天井に反射させる間接照明にすると、ろうそくよりもはるかに安全に、とりあえずの照明の用を成せる……このために、割と多くの単三乾電池を予備で持っておくことが有利)。歩いてるうちに電気が切れることも考えられるので、予備電池数本は手近に持っておくといいかも。電池は、通販での端数調整購入とか、安売りのときのまとめ買いとかでもいい……けど、狙って買うならエボルタとかを買え。こーゆーときエネループとかは使い物にならんので注意。
  • タバコを吸う人は、タバコの空箱+100円ライター4個(誤操作発火を防ぐため、空箱に入れて持ち運ぶ)
  • 仏壇用ローソク(またはアロマ用ローソク)2箱くらいと、ローソク台と、積水かニチバンの布テープ。地震での転等防止に、ローソク台はまともな粘着力を持つガムテープで、大きなテーブルの真ん中にガムテープで止めること。
  • トイレ用の便座カバー。非停電時は保温による節電効果があり、かつ停電時には冷え込んだ時の冷たさを大きく緩和できる。
  • 箱売りの安売りペットボトル、水とお茶を一箱以上……長期常温保管出来る飲料水として、「一発目の給水車が来るまでの間」と「給水が滞った場合」に大きく役立つ(これらはできるだけ温存して、可能な限り給水車からもらう水(=あまり日持ちしない水)を優先して飲用に使う)。先入れ先出しでやっておけば、ペットボトル詰め飲料の消費期限は十分に保てるので、「ワンウェイ水筒代替として、日々の缶ジュース代とかを安くあげる」目的と共用するといい。
  • 湯たんぽ。普段は冬用の布団暖房用に使い、非常時にはそれを集めてコタツ暖房用に使う(反射式ストーブで湯を温められる場合)。
  • 反射式ストーブと、石油ファンヒーターと、石油。反射式ストーブは、どっちにせよ眠れるはずのない初期2日間に、寝ていない人が多い公民館などの公共エリアに供出するとかして使う。ずっとだれかが張り付いて地震が起きたら即消す+倒れないように防護する必要があるので、超扱いづらいけど、電気がないときはこれしかない。応急送電が完了しだい石油ファンヒーターに切り替えて、あとは停電時を除き反射式ストーブを絶対使わない。とにかく『火災が起きてしまうと、だれも消せる人はいない(消防人員は、多くが人命捜索に振り分けられる)』ことを忘れずに。

災害に備えて、普段は使わないけれども準備しておくといいもの。

  • 空の2リットルのペットボトル(洗浄済み)10個。
  • 空の20Lの「注水ハンドル+大口径給水口」付き水タンクが人数分と、猫車──これは給水車からスムーズに水を受けるため。こまごまとしたペットボトルとかで給水を受けようとしても、時間が掛かるばかりでさっぱり進まず、別列に並ばされたりしてタンクの水を受ける前に給水車がカラになる恐れがある……スムーズに水を受け取れるようにすることも、インピーダンスマッチング上重要。
  • 水の移し変えに使える、ペットボトルの口に入るような径の、プラスチック製のロウト。
  • 地震対応の新しい規格の家では)風呂に水を満水に溜める+その水をトイレへと移すための、バケツ1個(機種によっては、10L以上ないと停電時には水を流せないものがあるため、非停電時のうちに、自宅トイレへバケツ水を流してみて、1階にどれくらいの水が必要かを確認すること)。
  • 長持ちするペットボトル飲料は、とにかくギリギリまで取っておく。

被災時に知っておくべき事。

  • 地震観測所や、その信号ラインが破壊されるような大地震が起こったあとの「緊急地震速報」は、近場に震源がある今回のような場合には『百害あって一利なし』。
    • とにかく精度が悪すぎる。地震が来たより十数秒たってから一発目の速報が流れるだけなら「間に合いませんでしたごめんなさい」で済む話だけれど、そのあと最悪なことに、間髪おかずに2発も『嘘』の地震速報がでて、かつそれをラジオアナウンサーも数分引っぱるとか……そんな調子だから、ラジオでそれを聞いた警官がパトカーを止めて「5分近くも周囲の車を止める」なんて事態に陥ってる(これは警官が悪いんじゃなく、キャンセル報知の設計をしてない地震速報設計上の問題)。今の技術で、300秒も先の地震を予知できるの?できないはずのことを、皆が『できる』と思ってるから、余計に混乱してるんだよ。そうじゃないなら「緊急地震速報には、速報のキャンセル報知もつけて提供する」とかしないと、誰も彼もが混乱してしまう。今のままじゃ、宮城県沖地震関東大震災が起きたときに、更なる混乱を引き起こす恐れがある……宮城県沖地震は平均あと3年で来るのだから、1年以内にそういう「投げっぱなしで片付けない」今の地震速報のやり方を改めないと、ホントに誰も地震速報を信用しないという最悪の状態になる。
    • ってゆーか、大地震後で避難生活をしてるうち、しかも真夜中という最悪のタイミングで、誤報が2発も連続してたから、少なくともラジオを聴いてた宮城県民は、もーそれを信用しないと思う。
  • なんとしてでも1日3食は喰う。量が少ない場合には、それを無理やり分けてでも、タイミングをあわせて3食にする。試しに2日間、(なるべくトイレの使用を控えたくて)極端に食べることを控えたら、アタリマエの様に水分不足で血液が濃くなりすぎて頭は痛くなるし、アタリマエの様に胃はキリキリ痛んで気持ち悪くなるし……という最悪な状態に半日〜1日襲われるし、体温調節も聞かなくなってきてヒドいことになるので注意。
  • 水は1日1リットルは飲め。理想は2リットルだけれど、どっちにせよ「喉に渇きを感じたときには、既に喉が渇いている」事を忘れないこと。
  • 同じ姿勢でずっといると、エコノミークラス症候群になる……とくに水分摂取を制限される震災時には、この影響が顕著に出る。避難所で寝るときには、とにかく「寝返りを打って寝ることができる、下敷き+上掛け+枕」を用意するべきで、寝袋とかは基本役に立たない。こういうときの盲点は『枕』で、『右向き←→上向き←→左向き』を無意識に展開できるような、普段使い慣れている枕がないと、それでなくても寝ることが困難な避難先での眠りが更に浅くなり、精神的に疲労困憊する可能性がより高くなってしまう。下敷きがないと体のうち体重の掛かる範囲がピンポイントになってうっ血する確率が上がるので、上掛けと下敷きを両方確保することができない場合には、暖かさをとろうとして上掛けを優先するのではなく、毛布は下掛けとして使うほうが良い。毛布1枚で上掛けと下敷きを共用しようとして、これを体に巻くのもNG(これも寝返りを阻害する要因になる)避難所にいくときには、「上掛けがない事を前提に厚着」+「下掛け用毛布1枚」+「枕」と、水・食料を持っていく……という感じで。

防災対策として、公共として考えて欲しいこと

  • 石油火災、石油備蓄系地帯の周り0.5km〜1m程度は、延焼防止地帯として空地として欲しい……強風や燃料流出対策の失敗などにも対応できるように、多重で。災害があると、どうせ消火は後回しになるのだから……。
  • 前にも書いたけど、数十年〜百年かかってもいいから、徐々に50Hz/60Hz境界線を東に動かしていって、60Hzに統一して欲しい*4。蛍光灯のうち非ラピッドスタート型のは60Hzでも何とかなるはずだから、60Hzに統一するほうが全体的な被害は少ないと思う。また、それに対応するための「モータープーリー交換or機器交換」などを、国策で助成し進めて欲しい。当時は「一世紀以内に起きる事態」として書いていたつもりだったけど、その日は『週末に起きた大規模震災後から3日を経過した、平日頭となる2011年3月14日の午前6時』に来てしまったんです……1世紀先かと思っていた最悪の事態が、こんなにも早く来るとは予測してなかった。
    • もしも可能ならば、そもそも100V系から115V系への変更も同時に進めて欲しい……けれども、そこまでイケるかどうかはまだ難しいところか。
    • 実際のところ、周波数の壁があって、東西間の電力融通ができない事態になっている……周波数変換発電所は、もともと震災対応できるほどの容量を備えていないし、実際それを増強するのも無理がある。
  • 前にも書いたけど、「エリア停電」をするよりも前に【機器選択停電(or機器契約停電orスマート停電)】をできるように、PLC通信技術を応用した「機器選択停電対応配電盤+機器選択停電対応電源タップ(or電源コンセントor対応機器)」が増えるように、どんどんこういう技術に助成するべきだと思う。こーゆー機器は普段から「夏場や冬場の極端なピーク電力需要を抑制する」ために超役立つし、計画停電が必要なほど深刻な電力供給能力の落ち込み時には「計画停電のまえにできる手段」として最大活用できる。機器選択停電による選択停電の実績値に応じてプレミアムをつけるようにすれば、需要家にとって「自宅で電気を作るのとは別の、新たなプレミア」として受け入れやすい要素になるだろうし。「発電商品」とセットで「能動停電許容商品」も売り出そうよ。
    • スマート停電受容環境へと移行することで「信号機や公共交通機関、エレベーターやETCとか」の安全需要に関わる電力を確保できる可能性が上がるなら、もー速攻で国策化して推し進めて!レベルだと思うけど。
      • ……で、こーゆーところにこそ国内電機大手が力を発揮して欲しい。「既存分野のシェアを喰い散らかすハイエナ」としてじゃなくて、「新規需要の創造」のために注力してもらいたいし。

被災後に不足するもの。

 水は給水車が来る……のですが、20Lポリ缶×2でごっそり持っていく人がいる一方で、ペットボトルや鍋、はては味噌バケツなどで水を持ってかえろうとするひとまでいる状況で不公平感でまくり……給水側も慣れてなかったし。関西から給水車の応援が来てくれるようになった3日目以降は、しっかり5L/人規制が掛かりました、当たり前って感じ。水が足りなくて脱水症状→低体温症になる例も多いらしく、水は必ず1L/日必要。
 食料品は(日々供給が寸断される影響で)あっという間になくなります……こーゆーときは、普段悪役みたいな大手小売に依存しきるしかない感じ。電気未通の最初期は、発電機で何とかお湯を沸かしてカップめん(発電機すら取れないときは非加熱食品のみ)、電気復旧後は無理やり残りコメを炊いてコメの飯を少しずつ消費……という感じ。「今日を生きる」だけなら主食だけでなんとかなる……んですけど、2日もそんなことをやってると眩暈がしたりしてかなりまずい。

  • 電気がなくて必要になるもの──石油、ガソリン、ライター、ろうそく、電池、ハンドライト、反射式ストーブ、枕、毛布、手回し充電器または電池式ケータイ充電器、加熱調理&冷却保存なしに食せる食材(炭水化物、食物繊維、たんぱく質*5
  • 水がなくて必要になるもの──飲用水、トイレの水洗用水、ウェットティッシュ(食中毒を防ぐために必要、手荒れを防護する余裕はないためアルコールでは役に立たない)、代え着(浸水地帯から避難してきた人にとっては、特に衛生上の問題から必要性が高い)。
  • 輸送経路・生産が絶たれて不足するもの──食料品全般、震災後の緊急雨対策としてブルーシート(屋根の破損に対する応急措置用途、屋外避難時の雨避け用途)。

大震災に実際遭遇して感じた、各キャリアの差。

 遠徒歩圏内に「津波で被災した」地区とかもあるような、かなり切迫した状況を通じて感じた&見聞きしたことを元に、脚色なく事実を書こうと思う。

  • 山間部に強いauは、非アクティブアレイなので、被災直後は使い物にならん。そのかわり、被災後1日経った以降は、普段どおりアクティブアレイに振り回されず「一番使えるケータイ」に戻る。意外なことに、ひどい扱いを受けても当然かと思っていた「アンドロイドケータイ」が、他のauガラパゴスケータイと全く同じ通話&通信機械を得られていたことを、東芝のレグザケータイで確認できた……被災時のキャリア内通話確率や、データの通りやすさなど、相当によくできてる。唯一の問題は、アクティブアレイじゃないことに起因する「アンテナが立ってる率に対する通話通信可能率」が低い現象、かなぁ……あれはちょっと戸惑うし、解りにくい。とりあえず「地震津波+火災の、多重災害にも強いキャリア」という称号を得たことは確実。
  • イベントに強いドコモは、大地震直後〜24時間にわたって徹底的に『既知の避難所にアクティブアレイを振る』らしく、駅前とかよりも公知済避難所のような「被災時に皆がいるところ」で特に繋がりやすいという声が多く、理に適った制御をしていると感じた。24時間経過以降は電波の弱さ&アクティブアレイの制御戻しが災いしているのか、アンテナの位相ズレや気絶アンテナの影響もあるのかは解らないが、(電力が復帰してもなお)圏外扱いになる場所が増えて、ほとんど使えなくなった。90時間以降経過後は「少ないアンテナを駆使して、色んな方向に数十分ずつアクティブアレイの方向を振る」様に運用しているらしく、運用担当かプログラマが相当がんばってる印象を受けた……PHSに毛の生えたような空中線電力で、ここまで踏ん張ってるのは賞賛に値すると思う。
  • 単独自然災害にめっぽう強いwillcomは……「地震津波+火災」で電力網が一旦潰れると、もー電気が復旧してもさっぱり直らない。震災直後から各マイクロセル基地局は停電で気絶してるし、応急送電過程で光ケーブルとかは低優先度扱いを受けるし、もともと光ケーブルとかは風や地震の揺れに弱いし……って感じで、やっぱりダメっぽい。
  • SBMは……ご想像の通りだと思います。

 正直、いままで宮城県沖地震を想定して、家族には「遠出するならau、近場狙いならドコモ、給電系復旧の速さと対輻輳性ではwillcom」って推奨してきた……けど、その推奨方針がまるっきり間違っていたことが、こうして東日本大震災を通じて身に沁みた。
 全国的にはどうか?ッてのは解らない……けど、宮城県の仙塩地区における一番の推奨方針は「(安否確認や避難生活のことを考えると)みんなauに統一しよう。どんだけ輻輳しても、どんだけメールが遅延しても、どんだけリトライ要求画面が出ても、アンテナ圏外で繋がる可能性ゼロってゆー状態よりは、はるかにマシだ。」になる気がした。
 SBMとwillcomは以下略……だけれど、docomoの場合は「アクティブアレイアンテナを、最低1週間は必ず避難所にも向ける」ように努力すれば、(震災後24時間以内はよかっただけに、それ以降の)評価が変わってくるかもしれない。あとauは、東北民が「宮城県沖地震ほかが、今後必ずやって来る」と思ってるから、今回の経験を通じて相当数がauに流れると思う……ので、基地局を増やすかチャンネル数を増やすかして、とにかく「超過密通話状態になったときの繋がりやすさ&データの通しやすさを、可能な限り底上げする」ために尽力して欲しいと思う……相当数の人間がauには激しく期待してるはずと思う。
 ……と、ここまでだと「willcomだめじゃん」なのだけれど、これについては「PHSfomaデータ」を実現してた『Hybrid W-ZERO3』に限って言えば、いい機種だったと思う。私はやり方が解らなくて*6、2011年3月18日までPCをネットに接続させることができてなかった……けど、やり方さえ知っておけば「ノンデバイスドライバで、PHS網にもfoma網にも、USBケーブル経由で接続できる」ッてのは、すごくいいと思う。今も全く固定光網はダメで、検索がらみでの頼みの綱は『Hybrid W-ZERO3』だけだし。
 #どこかの週刊誌に「PHS最強伝説」の話が載ってた……ので、私が居るところ以外ではずいぶん役に立ったらしい……この違い、何なのだろう。

この記録は……

 家が津波に押しつぶされることなく、家族の誰一人として怪我を負わずに済んだ、とある宮城県沿岸部在住の被災者が書いた記録でしかありません。
 ……そーゆー被災レベルですらも、今回の地震は怖かったし、津波と火災にも怯え続けたし、その後生活上の混乱はまだ続いてる状態です。
 この地震津波・火災の傷は、多分癒えることはないと思う……けど、今回被災した方々が、可能な限り早い時期に「文化的な日常生活」へと復帰できるよう、私はとにかく祈りたいと思っています。


 私に今できることは、すごくちっぽけなことだけです。
 せいぜい「被災レベルの浅かった私みたいなのはさっさと社会に戻って、とにかく地元経済の復帰を目指す」ことと、「手元にあるはてなポイントを義捐金に回す」ことくらい。
 それ以外には、今の自分じゃできることがない……ってのは苦しいところなのですが、今はとにかく「できる限りの力で、前進するしかない」と考えてます。

2011年3月21日22:07:11追記。

 親族については一揃い無事を確認できました。ネットで「安否情報画像のテキスト検索可視化」に協力してくださった皆様方に対し、厚く感謝します……あの情報群がなかったら、今日までずっと「生きてるのかどうかすら解らない」状態に不安を抱え続けたでしょうし。
 そして、友人については引き続き安否確認を続行中です。

*1:緊急時でも、5時間/日が限度だろうと考えていた……実際には、4時間頃からもう、左足が痛んでマズかったので、この予想は甘かったと思う。

*2:私の地元は20年前まで、街灯もろくにない「寂びれたベッドタウン」でした。

*3:炎の赤だけでなく、昼間には白・黒・青の煙を上げていて、本当に怖かった……時折爆発音もあるし。

*4:5年ごとに1Hzずつ上げていく方法とかもありそうか……と考えたけど、これはかなり厳しそう。ラピッドスタート型蛍光灯と、電子レンジ・モーター機器に注視(または周波数変換機を各家庭に装備)しつつ、変電所単位で一斉移行するとかいう、それはそれで非現実的な方法をやるしかないのかも。

*5:2016/9/18取り消し線を追加。被災時には体調を崩して便秘になりがち……と被災直後は思っていました。が、今になって思えば「タンパク質と脂質が極端に不足し、炭水化物に偏った食生活に陥っていた(特にグルテンが団子状になってお通じを極端に悪くする)」からこその便秘だったことに気付きました。そのため、取り消し線を引いています。

*6:カーソルキー真ん中の『ホーム』キーを押してから、『←』を3回押して出る『インターネット共有』を出して、あとはケーブルをつないでケータイの「接続」を押すだけ。PHS網につなぐかfoma網につなぐかは画面を選択すればいい。緊急事態でドライバがないときでも、ふつうにXPマシンからドライバレスで接続できる……というのは◎だと思う。