(kaad)電子教科書になっても「予習したいと思える楽しさ&予習であらかじめ理解できる構造」のコンテンツになっていないと、結局は何も変わらない……し、それを実現するためには「先生用と、生徒用の教科書が違う状USB態」を、解消する必要がある。

 ……眠れないので、どうしてもこれだけ書いておきたかった。
 電子教科書の『ハードウェア』は、正直今のソニー電子ペーパー端末を「教科書サイズ」にすれば大丈夫……だから、そっち系では既に技術は出来上がってる。


 ただ、肝心なのは『コンテンツ』だよね……。紙教科書を使う、いまの学校の学習って、

  • 予習で、ざっくりと内容を掴む。
  • 本学習のインタラクションを通じて、予習での覚え間違いを是正する。
  • 復習で、次の学習へとつなぐ知識として定着させる。

ってのが理想像なのだけれど、『先生用の教科書』がないと、予習でずっこける可能性が高くなってしまう。


 先生が『先生用の教科書に頼る』従来のスタイルのままだと、たぶん電子教科書化してもメリットは享受できないと思う。
 先生が『予習での覚え間違いを是正する。』というスタイルをとる限り、結局は落ちこぼれてしまう人が出てしまう可能性を減らすことはできず、学習能力の向上へと近づけることはできないと思う。


 将来的には、学校とか教育といった部分の役割が、少しずつ変わってくるのかも……。

  • 予習の時点で、正しい内容を掴む。
  • 本学習のインタラクションを通じて、次の学習へとつなぐ知識として定着させる。
  • 復習で、「その知識が、将来どんな学習をする上で役立つか」を把握しつつ復習する。

 ……とか、そういった形で「のーみそのねばねば記憶を、上手くつなげていく」ような方針へと大転換する必要があるんじゃないかな、と感じた。
 復習において「次の学習へと枝を伸ばす」場合、これは電子教科書が思いっきり得意とするところ……だし、ねばねば記憶ともよく整合するところだから、電子教科書を本気で生かすつもりがあるなら、そういった『教え方の改革』を、教育用プラットフォームの刷新と同時に行っていくのが適切だと思う。


 学習のねばねば記憶がよく影響するところとして、

  • 数年経ってから、はじめて以前学習したところに「意味があった」と感じることが出来る。
  • 数年先に学習するところの内容までをおぼろげながらに把握しておくことで、『今の学習内容には意味がある』と強く感じることができ、今の学習が強烈に定着する。

……って特性があるので、こういったところを「上手く織り込む」電子教科書があると、学力を向上させるために相応に役立つと思う。
 #できれば、小学校1年生から高校3年生までの分を、全教科まとめて一つのコンテンツとして連動させる……という、そういう巨大な設計の教科書コンテンツがあるといいと思う。数年先に別の教科で役立つ知識とか、そーゆーのが義務教育では結構あるし。


 いまの紙を使った教育方法って、基本的には【小学校入学から中学校卒業までとにかく突っ走って、高校入試でふるいに掛けて、覚えられなかったコは高校で一からやり直す】ってゆー、9年間もの長大な無帰還状態で突っ走ってる……と。
 そこで覚えられなかったのって、ホントに本人の責任なの?モンスターペアレントみたいにいうつもりはないけど、正直『コンテンツと教育方法の構造がマズい』ってのも、長大なNFBによる犠牲を生む原因になってる気がする。

  • 理解のいいコは、どんどん高次の教科書へとアクセスしていって、現在の強化をより強固に理解する。
  • 理解の悪いコは、理解できるところまでどんどん低次の教科書へと遡ることができて、9年間待たなくてもきちんとNFBの恩恵を受けることができて、わずか数分〜数日で授業の進捗速度に追いつける。

……ってゆー風にして、教科書自体が『学習者のための、知識の泉』として役立つように組み立てるといいと思う。
 その上で、先生は『judgement』から『forerunner』へと、役割を転換するべきなのかも……情報化社会を生き抜く上では「嘘を嘘と見抜く力」の重要性も高まるし、「活きた記憶と活きた考察力」も重要になると思う。そういったところはデバイスの特性に関係なくコンテンツで教えるのは難しくて、訓練&実践が鍵になる……から、そういうところに集中して先生が活躍するべきなのかも。