内語での音読癖を取り払う方法。

  • 一定時間目線でトレースする。
    • 理解できなくて遅くなるところは「(それが理解できる段階になってから)読み返せばいいや!」と割り切って、勇気を振り絞って読み飛ばす。また、読み飛ばしたという事実を記録しておく必要はない(これも必要になった時点で思い出すさ、と割り切ること)。*1
  • 先の時間と同じ時間を掛けて「瞼を閉じて」内容のキーワードと結合関係を思い出す。
  • 以下飽きない範囲で繰り返す。

 ……はじめは数語から。
 「今の状況では、その方法を使うと、読み取り速度が半分以下に落ちてしまう」と思っても、気にしないこと。
 このあたりは、「キーボードを見ながら打鍵する事に慣れてしまった人」が「キーボードを見ずに打鍵するなんて無理」と言いたくなる理由と同じか。
 ……暗示的手段に「わざと引っかかってみせる能力」がない場合、これ以外の方法に付いてはなにを使っても無意味なのかもしれない。

2008年8月19日6:06:11追記。

 この行動の意味。

  • 内語的音読と意味理解という2つの現象が【関連性のないもの】であることを、【新たな刷り込み概念を導入せずとも】体感できる。
    • 文章の丸暗記に近い方法ではなく、「会話のツマミ食い的なメモ」に近い方法をとることになる。
    • 文章表現を楽しむべき「文学作品」のために用いるべき方法ではない点に注意。
  • 極めて高度な処理が要求される「視界の解釈」動作が、連続的に行われ続ける状況を防ぐことが出来る。
    • この方法であれば「目を適度に休ませる」効果と「内容について(過去の経験を元に)再構成する」効果が両方同時に得られるし、それをするための特殊な儀式を必要としない。

 これは、速読法として語られる内容が「胡散臭くしか感じられない」人にとってこそ役に立つと思う。
 というか、そもそも「速読法」という名前自体が、こういった行為に対する「誤った認識」を生む原因なのではないかと思う。
 肝心なのは結果じゃなくてプロセス。プロセスが「コンパクト・理解可能・実践可能」である限り、そのプロセスは繰り返すことによって「結果的に高速に」行えるようになる。


 ……って、冒頭のようなことを書いたら「本にならない」から、ややこしい理屈&手順を導入して「特別な技術へと変質させてしまった」のかもしれないけれど。

2008年8月31日22:13:55追記。

 【(TitleOnly)速読詐欺は要らない。 - 雑記/えもじならべあそび】で頂いたコメントで、一つ気づいたことが。
 それに伴い、一つ目の手順に太字部注記を追記しました。

*1:太字部は2008年8月31日22:13:55追記。