いろいろと似通った本を読んでいると、「あっ、これは○○氏に対する批判だな」と露骨に解るような発言(※ただし予備知識が必要)が、きれいに抽出できるようになってくる……らしい。

 延々とあれこれ読んでいて、最近ふと気づいた。

  • つい最近読んで「あー、なるほどこれはいいよね」と思うようなことを見つけた。
  • でも、別の人が書いている本を読んでいると、「ああ、あの人はこういうことを隠していたのか」と解るようなことを書いていたりする。

 ……などというように、だんだんと「それぞれの著者が何を読んできたのか」「それぞれの著者が何を好み、何を嫌っているのか」というあたりが、徐々に見えてくるようで。


 書き手は結局「書きたいこと・伝えたいことだけを、ただ平面的に書いていくだけ」なのだけれど、読み手はその本だけを読んで平面的なとらえ方をする必要はなくて、いろいろな人からの目線でかかれた本をいくつも手に取っていき、最終的には「異なる平面的なベクトルを持つものを組み合わせ、立体的なベクトルへと再構築していく」ことが望ましい……のかも。
 ……というか、そもそも本を「読む」場合ではなくて、本を「読みまくる」場合には、目標として話半分ならぬ「読半分」を積み重ねていく方がいいのかも。


 私は元々直近に読んだ本「だけ」に影響されやすい性質なのだ……と思いこんでいたのだけれど、どうやらそれは「読んでいる冊数が少ないうちだけの話」らしく。
 結構読み進めていくと、結局は「たとえ直近に読もうとも、納得できないものはできないし、ダメなことはダメだと思う」というふうに、割と考え方(というかベクトル)が安定してくる様なんですね。


 それと、最近思ったのだけれど……本に対するレビュー作業というのは、なるべく数を絞る(極端な話、ゼロでもいいくらい)べきなのかも。
 本をレビューし直そうとすると、どうしても「読半分」ではうまくいかなくて、著者の意志をそのままトレースしようとする必要があるんですよね……この部分は、たとえば【あの本ってどうなの?】などと聞かれたときに探しやすくていい、というメリットにはなるものの、それはあくまでも「他の人のためには役に立つ」のであって、「自分のためには役に立たない」のかも。
 どうしても「この本は広めたい!」というものがあれば、レビューをたてる必要が出る……けれども、そういう緊急性がないものについては、わざわざレビューをたてなくてもよいのかも。むしろ、レビューのために時間を割くくらいならば、次の本へと読み進めてしまう方が、「自分自身の勉強のためには望ましい」のかな、と。
 レビューしようと思った本についてのレビューをすっ飛ばして、さらに延々と読んでいって、それでもかつて読んだあの本についてレビューしたくなった……というときに、はじめてレビューを書くようにすると、該当本を読んだ直後には気づけなかったようなことを含めてレビューできるはずで、結果としてそのレビューを読む人にとってより有用なレビューになるのかもしれないですし。


 ……などという理由を付けて、最近は「読了報告」をさぼっていたりする私^^;。


 ちなみに、最近は「通勤途中と昼食後に本を読んでいます」……が、基本的には「外出先でスマートフォンの電池持ちをよくするために」本を読んでいるようなものなので^^;、あまり真剣には読み進めていなかったりもして。
 自宅ではほとんど読まないので、さっぱり積ん読が減らないんですよね……ダメダメじゃんかorz。