葬儀の本質。

  • (宗教云々に関わらず)絶対に必要。
    1. 日常の営みを一切中断してでも参加すること。
    2. 飲まず食わずだった介護側の人に、とにかくものを食わせて、とにかく寝かせること。
    3. 親族が皆で集まって、同じ場所で同じ時間を過ごすこと。
      • 受付などをしていて直接現場に参加できない仕事を携わる場合は、「それで現場から疎外されていると感じる」人は避けて「それで主体的に参加していると感じる」人に任せてしまうべき。
  • (宗教上の理屈を抜きにすれば)あってもなくてもかまわないこと。
    • 決められた儀式の全て。
      • もちろん「いらないとはいわない」けど、上の3つよりも優先されることは絶対にない、と。

 うちでやることになったら、法要膳(と引出物)は不足しないように用意しよう(来るかどうかわからない分は来るとみなして用意しよう)と思いました。
 今回は(読み違えが原因で)法要膳を食いっぱぐれたのだけれど、それでも気にせず現場にい続ける(それこそ振る舞い役に徹するとか)ほうが良かったな……と、今でも釈然としないところがあります。
 一日経った今でも「途中で一旦追い出されてしまった」感が残っていて、今でも食事をするたびに涙ぐんでしまうんですよね……こんな思いを他の方にはさせずに済むよう、「失敗を二度と繰り返さないための対策」が必要そうです。
 葬儀における食事の役目は、「食い物の恨み云々」とは全く関係なく、他の行事と全く同じく、「同じ場所で同じ時間を過ごす」ために必要なのだな……ということに、改めて気づかされた瞬間でした。