「パソコンを使いこなせない“下流”な人々」──という考え方は、本当に正しいのか。

(参考:「下流」ではないケータイヘビーユーザー)


 パソコンを使いこなせて当然、ケータイしか使えやいやつらは……なんて考えていると、足元をすくわれるかもしれませんよ?……という話。
 「○○を使っているから大丈夫」ではなくて、「○○をいかに目的達成のために使いこなすかを考える」ことが、今後さらに重要になるのかもしれません。


 シャドールームさん経由で一つの記事を見かけました。
 「下流」ではないケータイヘビーユーザー


 【無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法】のpp.37-44には、「ケータイではダメ、ノートパソコンを!」という説明(p.38)があります……が、実はここで「ダメだと言っている理由」がとても狭い範囲に限定されている(【画面の大きさ】についてしか言及していない)点には、十分注目する価値があるように思います。
 実際には「入力にコストがかかる」ということと、「親指の付け根を動かし親指の腹で打鍵するから、ブラックベリー指になる可能性がある」ということも合わせて考慮しなければならないとは思いますが、逆に言えば理由はそれだけ……ともいえてしまうわけで。


 道具と言うものは、それがえらく使いづらくとも「それに見合うメリット」があれば、人は必死に覚えて使いこなしてきた歴史があるように思います。
 かつてはパソコンがそうでしたし、今ではケータイがそうなりつつあるように。
 【無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法】のpp.37-44には、「ノートパソコンには通信カードを挿しっ放しに!」という話があります。毎回接続手順(かばんから出す・ケーブルをつなぐ、など)を踏まなければならないようでは、面倒くさくて使わなくなる……という理由を掲げていらしたのですが、この話……人によって許容限度がだいぶ違うのかもしれません。
 画面サイズ&入力デバイスサイズと可搬性はトレードオフの関係にあるだけに、「ノートパソコンまでならばOK」という方もいれば、「ケータイが限度でしょ」という方もいるはずです。
 肝心なことは、どちらの条件にあるかたでも変わることなく「そのデバイスでできることをきちんと知り、そのデバイスに見合う徹底活用をする」というところにあるのかもしれません。


 たとえばマインドマップ
 これは「画面が広ければ広いほど使いやすい」のですが、その理由の一つに「狭い画面向けに最適化されたマインドマップが存在しない」ことにあります。
 たとえば小説やコミックの分野では、既にケータイ向けの表示最適化案が考案され、そして実際に使われていたりします。
 マインドマップにも同様の表示最適化案が構築できれば、少なくともマインドマップについては「広い画面がなくとも作業できる」可能性が出てくることになります。


 たとえば文字入力。
 これは「キーボードがあるほうが使いやすい」のですが、場所の制約上キーボードが使えない場合には「自身にとって使いやすい入力法が搭載されたケータイを選ぶ」ことで十分代替できる可能性があります……たとえば私がかえでケータイ配列を使うように。
 そして、「パソコンは表示部だけを使うことができない」という部分が気に入らない方の場合は、「表示部とCPUが乗ったケータイは普段使いし、パソコンの代わりにキーボードを持ち歩いて使う」という選択肢も取りえることになりそうです。
 私ははじめ「キーボードを持ち歩く」事にはかなりのコストがかかるのだろうな……と思っていたのですが、たとえばぎっちょんさんから「ノートパソコンよりはキーボードだけを持ち歩くほうが楽」というご意見を頂いたように、このあたりも人によって「体感上のコストは人によってだいぶ異なる」ようです。
 ケータイのほうがいい!と言う方であって、なおかつ【無理なく続けられる 年収10倍アップ勉強法】をお読みになって「親指シフト」に興味をもたれた方は、ひとまず「oyayubiwm」というツールをチェックしてみることをお勧めします。今のところ通話可能なケータイではW-ZERO3[es]のみが対象となっていますが、今年の夏にはもう一機種増えることが確定しているようですし、今後の動向には注目してみても良いのではないかな……と。


 いずれにせよ、どんな道具であっても「何を選択するか」ということと同様に「それをどう使うか」ということが、とても重要なはずです。
 そして、今後さらに「何を選択するか」ということよりも「それをどう使うか」にかかる比重は、さらに高くなってくるのかもしれません。