存在意義に関する雑感。

 Uジローさんの記事に言及しようと思って書き出したら「共感」というキーワードに落ち着いて、そこでコメントに切り替えて書こうとしたら「コメントに見合う分量のシンプルな言葉」が見つからなくて……と、ちょっともどかしい今日この頃でして。


 個人的に、配列系blogは「従来的な【同じ入力法を使う人同士でしか交流できない】掲示板」でも、「宿命的に【長文をまじえた意見表明をすると迷惑がかかってしまう】2ちゃんねる」でもない、3つ目の立ち位置としてどうしても必要だった……と、そう考えています。
 この観点からすれば、blogという表現の場が「増えた」事による効果は配列界隈でもはっきりしていて、ここに読み違いはなかった様に思います。
 少なくとも、【異なる入力法を使う人同士が自然に交流できる】×【長文をまじえた意見表明をしてもシステム上問題はない】という、二つの要求を同時に満たせる場所は今までなかったも同然でしたから、一昔前と比べればだいぶ隔世の感がある気がしています。
 そして、【色々な入力法があっていいじゃないか!】という認識が、少なくとも配列界隈では肯定的に認識されるようになった……というところも、個人的にはとても重要なポイントだと感じています。


 いっぽうで、配列系blogができたからといって「そう簡単には普及しない」というのもまた真でして。
 マイナーな話題に関する特定系列のblogというのは数多くあるようなのですが、いずれにせよ「同好の人が意見交換をする」以上の波及効果が現れた例は、ほとんどないようにも思われます。
 配列系の場合、厄介なことに「お金で買える&簡単に幸せになれる」という代物ではないという特性があるだけに、余計に時間がかかることは目に見えていますし……。
 個人的には【普及のスピードはこれでも十分に速い】という印象を持っています。
 とはいえ、ここから先へと進むにはどうすればいいのか……と、手詰まり感を抱いていることも確かです。
 手始めに案内するとすれば、難易度が高くはない「拡張ローマ字系へ進む」か「かな系へ進む」あたりを案内するのが良いのかなぁ……という気もするのですが、それにしても

 (一部の人を除く)大衆は常に「それまでの常識」に近く、なおかつ「より楽が出来る」インターフェースがもっとも優れていると感じる。既存の概念を始めから全否定してはならない…と思う。
(from http://d.hatena.ne.jp/maple_magician/20040815/p2 )

この呪縛から「簡単に逃れる方法」を見出せていないあたりは、さすがに悔しいと感じています。
 

 いずれにせよ、「もっと気軽に、多くのほかの記事にまぎれる程度でも構わないので」配列関連の話題をポストしてくださる方が増えてほしいところですね……そのために、必要と思われるツール(たとえばまとめWiki群とか)をそろえていくなりする必要があるのかな……と、とりあえず漠然と考えていたりします。
 もっとも、そういう雰囲気を作り出す為には「強く諭す/問いただす」ように捉われがちなレスポンスを意識して抑えていくことが、今のうちから重要になってくるのかなぁ……と。
 私自身、たまにやってしまうことがあるので自重せねばならないなぁ……思うのですが、なかなかに難しい課題ではあります。


 メジャー方面のアプローチについては……うーん。
 それを「特に必要としている方」にピンポイントでキャストしないといけないところが辛いですね……どういう層が配列変更要求に結びつく欲求を持っているのか、私にはなかなかつかみきれていませんので……。
 そうではない方にばかりキャストした場合には「手痛いしっぺ返し」を食らうことは目に見えていますので、需要がどこにあるのかをまずよく検証していく必要がありそうです。


 実際のところ、ここ最近阿呆のごとく「トヨタ式」「生産革新」「作業改善」*1などというキーワードを使いまくっているのは、(配列系全体にとって)メジャー方面の初期需要はそのあたりにしかないのではないか……という、漠然とした予想をしているからだったりします。
 もちろん、願望としての【有名な方に使ってもらって云々】というところがないわけではないのですが、そういう方が果たして【入力法の変更という物事についてきちんと理解したうえで発言していただける】かどうか……となると、さすがにそれを含めて期待するのは酷ではないかな、と。
 そうであるならば、【有名な方に使ってもらって云々】よりも、【理解して使ってくださる可能性が高い方】にアプローチできるほうが、そこから先の普及過程についてより安心できるのではないかと考えています。


 ……と、寝る間際に書くと、どうしてこう散文度合いが酷くなってしまうのでしょうか^^;。
 とりあえず、今日はここまで。

2007年4月19日7:06:14追記。

 ……最終的には、「アタマとカラダとキーボードが持つ(潜在的な)パフォーマンスを十分に生かすこと」が目的になるのかも。
 音声サービスが一般化するより前に「キーボードを使うことによるメリットの最大化」を達成できないと、最終的には【パソコンのキーボードって、やっぱり要らないよね……】といわれてしまう可能性が出てきそうで、今はそこが怖いですね……。
 かつてのMacintoshのように「キーボードはオプションです」という状態になってしまえば、そこで全ての話が終わってしまいますから。


 【アタマとカラダ】×【キーボード】のimpedance matchingに支障があると、労力がかかる割には入力が進まない……ということになりがちです。
 「何を苦労と感じ、何を快適と感じるか」は人によって異なってくる以上、それぞれ個々人の事情に見合う入力法を製作する必要が、どうしても出てくるはずです。
 今は幸いなことに、色々な考え方&評価打鍵を経た「まっとうに使える入力法」が既に多数提案されています……から、【自分でつくる】だけではなく【既製品から選択する】という選択肢も、十分有効になっています。


 キー配列が、パソコンのほかのコンポーネントと同様に「探し、選び、作り、慣れ、気に入ったものを使う」時代になるよう願っています。

*1:いずれも「プロセス重視、結果は後からついてくる」が本則……と言う意味では共通。広く知れ渡ったほうの認識がそうであるかどうかは別として。