「日本語電子タイプライタ」(OASYSプロジェクト)において「親指シフト」に割かれたリソース(注:翌日追記あり)。

(言及: http://ameblo.jp/asuka-layout/entry-10022994748.html)

 今ここに生きている全ての「かな漢字変換」ユーザの方にとっては想像も付かないことかもしれませんが……今あなたが意識せずに使っている事象は、すべてOASYSから始まったのかもしれません。
 #……って、誰に向かって言うべき言葉なのかはよく解らないのですが^^;。


 ……ということで、今日は

コンピュータ―知的「道具」考 (NHKブックス (478))

コンピュータ―知的「道具」考 (NHKブックス (478))

の「1985年4月20日・(初版)第1刷」から読み取れそうなことを表にしてみました。
 あとがきの末尾に書かれた日付は「1985年3月」だったりするので……もうずっと前(ほぼ四半世紀前)の時点で、以下の内容は明かされていたことになります。

開発の経緯は拙書 「コンピュータ 知的道具考」NHKブックス478にもう
すこし詳しく書いてあります。
(from http://www.ykanda.jp/oyayubi/oasys01.txt and http://www.ykanda.jp/txt/happyo.txt )

 上記の文章には、それほど意味はないのかなぁ……と思っていましたが、【イヤ、やっぱり一次資料にあたらないとダメだろ。】と思い直した甲斐があったようです。
 昨日までに読んだ時点では「配列の設計【期間】」について注視していなかったのですが、今日読んでようやく把握できました。
 ゆえに、いきなりですけれども

だから、インスタント配列の証拠の文書なんて絶対出てくるはず無いですよ。
(from http://ameblo.jp/asuka-layout/entry-10022994748.html )

は見事に覆りました^^;。
 ※以下の表はそのまま引用せず、必ず原典である【コンピュータ―知的「道具」考 (NHKブックス (478))】を直接確認してください。

年月日 かな漢字変換に関する事柄
1977年暮〜1978年8月? かな漢字変換」の方法として「頻度表を用いた自動かな漢字変換バッチ方式(当時はこの方法しか現実的ではないと思われていた?)」ではなく、「区切りキーを用いた対話式かな漢字変換方式」が実現可能かどうかをテストするための実験機を製作、テスト。うまくいくようなので、これを使って「かなを使って辞書をひく」ような入力スタイルをとることにした。
1977年暮〜1978年8月? 上記システムで使用する為の「かな漢字変換辞書」を新規で設計するため、構成方式の段階から検討。
1977年暮〜1978年8月? そのほか、ワープロとして必要な機能の全てを新規で設計するため、方式の段階から検討。たとえば「カーソル位置に未変換文字列・変換済み未確定文字列を仮表示」する【インライン変換】とか、一度選択した変換候補が二回目以降には優先して表示される【変換結果の学習機能】とか、内蔵辞書にない言葉を自由に登録して使える【単語登録システム】といった「今当たり前に使っている」機能は、試作機の段階で全て実装された。
年月日 鍵盤に関する事柄
1977年 運指距離ゼロのまま全てのかなを置く為の方法として、ステノタイプに近い「手袋鍵盤(左手5ビットで子音を、右手5ビットで母音を指定・同時打鍵)」をテストしてみた……けど、人指・中指・薬指・小指のうちいずれか2指を同時に操作しようとするとうまくいかないという結論にたどり着いた(後に書かれている事とあわせると「隣り合う指ほど混乱しやすい」こともこの時点で判明していたはず)。
1978年 結局、タイプライタ鍵盤に舞い戻ってきた。親指との同時打鍵はイケそうだったので、タイプライタ鍵盤に2親指シフトキーをつける方向で検討。
1978年 「同時打鍵」をどう判定するべきかを検討。(昔とは異なり)今ならマイコンに依存できるので、それを利用することに。
1978年 同時打鍵判定を厳しくするか、あるいは緩くするかで悩んだ末、「一般の人が楽に打てることを優先すべき!」との立場に立って、緩めに設定することにした。
1978年3月 同時打鍵処理を行える試作鍵盤システムを製作。
1978年3月 上記鍵盤に「50音配列順の」親指シフトかな系配列(センターから母音がaeiouの順に並んでいる)を実装。
1978年3月〜4月 1ヶ月間の試用。同指連打による指がらみがある速度以上で頻発、最適化配列を設計する方向での検討を開始。
1978年4月 人差し指→小指の順に指の使用頻度を暫減させる・中段→上段→下段の順に段の使用頻度を暫減させる・同指連打&隣接指連打を極力抑える・同手連打を極力抑える・手のひら全体をホームポジションへと自然に誘導するために、動かしづらい小指のホーム段キーには「高い頻度の文字」を割り当てる・濁音は逆手親指シフトキーを使う・半濁音は小指シフトキーを使う……という基本設計指針を立てた。
1978年4月 当時既成の単独出現頻度・連接出現頻度表を用い、上記のルールに沿って今の「親指シフト配列(NICOLAのもと)」を作成した。
1978年4月〜5月?(3週間) 親指シフト配列(NICOLAのもと)」をテスト。案外と良かったのでこれを採用することに。
年月日 システム設計全体に関する事柄
1978年8月 「動くOASYS」としての試作機を設計開始。 http://www.ykanda.jp/ntw/plan03.jpg を見てくれよ、もぉ一杯一杯なんだぜッ!……という状況。
1978年9月 東芝が【日本語ワードプロセッサ・JW-10】を発表。
1979年〜1980年 「1979年春のビジネスショー」と「1979年秋のデータショー」に出品しつつ、「日本語電子タイプライタ」としての使い勝手を1年間掛けて全体的に煮詰めた。その上で商品設計を開始した。
1979年〜1980年 試作機では文章を「ページめくり方式」で表示したが、これを商品機では「連続的なスクロール方式」に変更した。
1979年〜1980年 この機械の主たる利用目的を「原稿の清書」ではなく「原稿の作成そのもの」に設定していたため、当時の技術では困難な「高精細・大画面」なテキスト表示対応ブラウン管を製造してもらった。
1979年〜1980年 当時の他社製品とは異なり、大きく重く高価な「デスクタイプ」という構成をとらず、初めから「卓上据え置き型」のパッケージングで商品設計を行った。
1980年5月7日 商品モデル「日本語電子タイプライタ」を発表、春のビジネスショーに出品。名称を一般公募し「OASYS」とした。

以降は2007年1月8日追記分。

 ……これだけ新しい概念ばかりを詰め込んで、しかも「四半世紀たった今でも、なんら色あせることなく通用する」日本語電子タイプライタという製品を設計しました。
 「初の日本語ワープロ」という冠は逃したものの「初の創作記述用日本語ワープロ」という冠を戴くに相応しい代物かもしれません。
 ……ところが、当初は「自社の」担当営業さんにさえも「これじゃ売りにくいですよ、もうちょっと普通の(他社機種のような)物を作りましょうよ!」とか言われていたりします(p.178)。
 この評価をひっくり返すまでに数年掛かりました……しかも、それは「利用者からの評判」によって覆されることになります。


 とりあえず、本を読みつつ思ったことを。

 【神田さんと全く同じ立場に立って、全く同じリソースのみを使って開発しろ!】といわれたら、私は機器の青写真を描くことすらできなかったと思う。

 【神田さんの部下な方と全く同じ立場に立って、全く同じリソースのみを使って開発しろ!】といわれたら、私は入力方法の青写真を描くことすらできなかったと思う。

 ……と、今日の感想はこんな感じです。