無理を承知で、それでも「誰も悪くはない!」と信じたいのです…。
(言及先:「指導力不足」か「不適格教師」か?)
授業を受けた「だけ」の側から、ですが…。
「軽瓶な特徴」に代表される先生方にあたったことは数多くありましたが、影であれこれブーたれてみるor面頭向かって文句を言うなどして、ある程度は解決する(=致命的な不信には至らない)事がほとんどでした。
ゆえに、学級崩壊を経験したことはありません。
完璧を求められると混乱する…というのは、まさにあるかと思います。
人によって得意不得意があって、勉強・努力しても何ともならん事があるはずなのですが、それが全く許容されないというのは辛いですね。
私の場合、高校で某教科テストの点数が70点近く下がったことがあったのですが(「内申点を上げやすくするため」という口実で得意な記述問題が削られ、不得意な暗記問題ばかりに…問題概要を聞いた時点で絶望しました)、採点後に教科担任から言われた「何で勉強しなかったんだ!」という言葉には、かなりショックを受けました…。その場で理由(暗記問題が不得意だということ)を説明する気力すらなく、しばらく凹んでいました。
先生方に完璧を求めようとは…しなかった気がします(ここが一番自信がないところなのですが…)。
差別だけは止めて欲しいな、という思いはありましたが、それも極端でなければ問題ない気もしますし(それも先生方の個性と言うことで)。
当時不思議に思ったことは、親御さんが授業を見に来る「授業参観」はあるのに、先生方が授業を見に来る「授業見学」が無かった点です。
私は職場で、頻繁に「よく出来る人」の仕事ぶりを見たり聞いたりすることがあるのですが、その「見る」の部分が、学校にはほとんど無かった様な気がします(もう10年近く前の話ですから、今はあるかもしれませんが)。
生徒さんにアンケートを採るなりして、「教科を越えて、一番解りやすい」と判定を受けた先生の授業を、代わる代わる「授業見学」する…などという制度があると、とても良い刺激になるのではないかと思います。
無理をしない範囲で(頑張っている自覚がある人に「もっと頑張れ」という言葉を掛けるのは厳禁ですし)、お互いがより良い授業環境を提供できるようにと手法を模索する機会があると良いのかも…と、素人ながらに考えてみました。