「たくさんの入力方式」をサポートするエミュレータほど、自然と「本質解決」へと向かい歩み始める……。

 まえに、NICOLAフォーラムで、こんなことを書いてきました。
 なんというか、「汎用エミュにも、汎用エミュなりの【NICOLAユーザにとっての】メリットがあるよ。」っていいたかったもので……。

> DvorakJ は、われわれ「親指シフト」信奉者にとって、ある意味、危険なソフトです。
>
> DvorakJ を使うと、ユーザが、個人の使い方や、好みに合わせて、いかような入力方式でも実現できるのです。
>
> 金科玉条と思っていた「親指シフト」が、多々ある入力方式の一つに貶められてしまうという、コペルニクス的、価値観の転回をせまるものです。


 ええと……DvorakJというソフトは、「DvorakJがサポートする、さまざまな入力法をつかう方々」のフィードバックを受けて、常に成長し続けています。
 これはたとえば「やまぶき」でも同じでしょう。


 特定の入力法だけをサポートすると、その特定の入力法を使う方からしか、フィードバックが得られない、という不都合が出ます。
 一方で、たくさんの入力法をサポートするソフトでは、(特定配列でだけ有効になるような)場当たり的解決策がとれないので、よりよく練られた「本質対策」が見出される可能性が高くなるとも考えられます。
 「(入力法の枠を超えて) よりたくさんの方に使ってもらい、フィードバックをもらおう」とするのならば、今時ならば【フィードバックを得たいと思う入力法に、対応するようにソフトを作る】のが、自然な流れだと思います。


 汎用キー入力入れ替えソフトは、「価値観の転換を、ユーザーに迫る」ために、たくさんの入力法をサポートしている「のではない」と、私はそう考えます。


(from http://nicola.sunicom.co.jp/cgi/wf_soft/wf_s_forum.plx?no=906&reno=902&oya=892&mode=msgview&page=0 )


 【強くなればなるほど優しくなれる】じゃないけど、知恵を絞って「よりたくさんの配列を、なるべくシンプルな動作モードのままでサポートできるように工夫していく」という情熱には、毎回頭が下がる思いです。
 そして、そういう過程で「不都合の根っこをつかんで、本質解決を行う必要に迫られた」ときに、各ソフトウェア作者さんが、すごく頑張っているんですよね……。


 たとえば、定義ファイル一つを取ってみても、そういうところはかいま見られる気が。
 繭姫にせよ、やまぶきにせよ、DvorakJにせよ、「シンプルで見通しがいいまま、拡張性もしっかり確保していく」という視点で見たときに、それぞれ良くできた定義構造をしてます。
 こういう工夫と配慮が、定義ファイル以外にも(ユーザーからは見えにくい部分にまで)あるからこそ、ユーザー側から見ると「細かなところは解らないけど、良くできてる」という印象になるのかも。


 私としては、基本は汎用エミュが広く使われる様になって欲しいと思う。
 そして、汎用エミュが広く使われることと、「自らが金科玉条と思う○○入力法の立場」との間には、特に関連性などないとも思う。
 ……って、私の場合は「自らが金科玉条と思う○○入力法」ってのがないから、ほんとにこう言い切っていいのかどうかは、ちょっと怪しい気もする……のだけれど。