やまとことばに似合う生産方式は「流れ生産方式(ながれ-)」じゃなくて「絆生産方式(きずな-)」だよね、と暴言をはいてみるテスト。
「ながれ-」は一見、和風の要素に溢れてるように見える……のだけれど、その中には
- 天に身をゆだねる精神
- 神が地を見下ろす精神
の両方が介在できてしまい、どうにも「なんかちがう」気がする。
流れ生産方式では「渇水」と「洪水」の説明は可能だけれど、「清らかな流れ」とか「汚水」とか「そもそも水じゃないものの流れ」あたりの分別はしづらいんだよね……そういう難しさが「ながれ-」には残ってしまう、と。
しかも、ただ流れてればいいわけじゃないし、「流れ」てるのと「流し」てるものの区別をするのも難しかったりするという厄介さまで残っていたりするわけで。
鳥の視点と虫の視点、両方の解釈ができてしまう「曖昧」な言葉は、コンセプトを伝えようとする目的に沿って考える限りでは「インターフェースとして正しくない」から、私はあえて「ことえり」のやり直しを提案したいと思う。
そこで使おうとしてるのが、「絆生産方式(きずな-)」ってことば。
モノだけではなくて、情報や思いやりといったコトをも含めて「絆がつながっているかどうか」という視点でものを見ていく……と。
生産方式が「きずな」の3文字で表現できたら、苦労なんてないだろ……って気もするのだけれど、なーんにも知らないヒトに対して
- そこに「流れ」はあるか?
って訊くよりも、
- そこに「絆」はあるか?
って訊くほうが、まだ誤解される恐れは低いんじゃないかという気がしていたり。
……この「ことえりテスト」、うまくいくかどうかはわからんけれど、すくなくとも「流れはあるのに、なんか変だ。」って場合の官能検査法としては、うまく働いてくれそうな気がする。