メモ。

http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0802/18/news013.html
 これも「時代の変化」だよなぁ……と思う。


 パソコンを使いこなしてはいなくても、ケータイは使いこなしている、という人は、よく見かける。
 パソコンを使いこなしていて、ケータイは使いこなしている、という人も、よく見かける。
 パソコンを使いこなしていて、ケータイは使いこなせない、という人は、実はあまり見かけない。


 ケータイのインターフェースがそれだけ「特化した物を提供している」というのもあるけど、逆にパソコンが旧態然とした「(動作も重量も)重い・(外見もインターフェースも)ダサい・(習得中も習得後も変わらず)使いづらい」というものを、そのまま引きずっているところにも、原因はあるのかもしれない。
 ノートPCのほうが、ケータイよりも「(運搬を考えなければ)広い画面で、(片手打ちを考慮しなければ)打ちやすいキーボードで、(起動時間を考慮しなければ)速度も速い」というのは確かなのだけれど、それが解っていてもなお、ノートPCどころかスマートフォンですらも「なんか使うには野暮ったい」と感じてしまうのは、一体なぜなのだろうか。


 時を重ねるごとに「画面の問題」と「速度の問題」については、それなりの落としどころに来てしまうと思う。
 画面の問題はインターフェースとコンテンツ側の工夫でどーにでもなってしまう(コミックサーフィンあたりの考え方は、モロにそれだと思う)し、速度の問題については「PCの性能から数年遅れでケータイが付いてきている」だけに、あと数年すれば「実質的には今のPCぐらいの性能を持った端末」が、世間で普通に使われることになると思う。
 唯一片付かないのは「入力の問題」なのだけれど、ここが1.8打鍵/カナぐらいでいけるものをサポートするようになると、「パソコンの優位点って……いったい何?」ということになってくるのかも。


 「パソコンだからこそ快適だと言い切れること」をきちんと見つけることができないと、パソコンユーザ層全体が「時代の波に乗れないお荷物」扱いされてしまうのかもしれない。
 かつて、ワープロユーザがそう言われて来た様に、そういう恐怖は「すぐ目の前に迫ってきている」のかも。
 #その解決策のうちのひとつとして「日本語入力法の選択」というのは、結構ポイントになるような気が。