事実・推測と「測定」の関係……?

(過去:評価スクリプトは、何を可視化し何を埋没させているのか。)


 「事実」は、たとえば測定して得られた値そのもの。
 「推測」は、たとえば測定して得られた値を基にした考え。


 【一つの測定方法で得た値は真実であっても、測定方法を「組み合わせ」たり「フィルタリング」したりした時点で、そこから得られる結果は推測とみなされる可能性がある】というところは、だいぶ厄介な気がする。


 今のところ、キー配列を可視化して評価するにはどうしても「組み合わせ」と「フィルタリング」が必要なのですが、これらを行って情報を圧縮する行為そのものが「推測」を生んでしまうのかも……と。
 とはいえ、これらを行わずに可視化することは経済的にできない(原理的にはできても、量が膨大すぎて把握できない)はずなので……どうすればうまく行くのか、全く思いつかずに悩みまくっています。


 ……日本語入力法の分野において「オカルト呼ばわりされること」を避けるためには、どういう視点&評価方法が必要なのでしょうか。
 非圧縮評価を効率的に行うことができるようになれば、設計分野・評価分野の両方にとって大きな進歩があるはずなのですが……。
 #その先には、「実際に打鍵評価するのと全く同等の結論を見出せる評価方法」があるのかもしれない。
 

 うーん、これらと比べれば「主観=一人にとって事実なもの」「客観=すべての人にとって事実なもの」「主観を超えて客観未満=一人を超えて全て未満の人にとって事実なもの」と割り切って考えることが可能なだけに、まだ「主観」「客観」のほうが切り分けしやすいのかも……。