メモ。

 打鍵動画の撮影回数が、もうすぐ20回に達しそうです。
 というか、途中でフリーズしすぎ……orz
 今度こそうまくいってくれぇ〜〜〜〜(ioi)

……で、出来たはいいが。

 320x240のCBR(1152kbps)モードで158MB、それを再圧縮したVBR(平均300kbps)モード動画で20MB……。
 後者はWebにあげてもいいのだろうか。いつもと同じ駄文書き動画なんですけど……。


 山下芳太郎の『国字改良論』は、「文章を大量に書く場合、漢字を手書きでは記述しないこと」によって、その目的を既に達成している……と見るのが妥当かもしれない。
 「カナタイプライタ→電子タイプライタ→コンピュータ/ケータイデバイスなど」の流れで「手書き文字の筆記速度が遅い人でも快適に仮名漢字混じり文を記述できる」仕掛けが整いつつある。かつてタイプライタ打鍵法が一世紀?かけて欧文圏に浸透して行ったように、アジア圏においても「一世紀後には自動的に」それが実現するはず。
 ところで、中国語における「簡体字」は手書きでの不便を解消するため(低解像度モニタについても考慮された?)にデザインされたけど、果たしてあの作戦は成功したのだろうか?個人的には「歴史を断絶してしまった」意味では大失敗だと思うし、「経済的な損失を防いだ」意味では大成功になるはずだと思う……この効果がハッキリ出るのは1世紀後だろうけど、1世紀後の簡体字利用者はほぼ満足しているはずだと思う。
 「手で書きやすい漢字はいつか絶対に愛される日が来る」というのは、文字入力技術にも共通するところがあると思う。で、そういう漢字のみで言語の表現を行うことを目的として作られた「簡体字」は、決して「経済理論を優先した短絡的な生成物」などではなく、手書きというインターフェースと漢字という文字の特性を熟知している「漢字が生まれた国」ならではの英断だったのかも……と、今ではそう思うんですよね。
 欧文は元々筆記しやすい。簡体字も筆記しやすくなった……では和文は?多分、そのままになるんじゃないかな……和文の書きやすさ向上策に関しては、絶対に成功しないと思う。カナモジ化すると「辞書的な説明」を付けねばならないし、簡体字化も絶対に無理だろうし(JIS X 0213:2004改定が、和文が行く先の全てを物語っている気がする)。
 何のために、山下氏が「カナタイプライタ」を作成させたのか……もう一度、色々と考えてみる価値があるのかもしれない。