「わすれにくさ」を確保するには、「運動性記憶」ではなく「連想記憶」を使っています。

 「よろしければ〜」スレッドにおいて興味深い投稿があったので、無粋だとは思うけど補足?してみたいと思う。

931 名前:900[] 投稿日:2010/11/28(日) 15:37:04 0
ローマ字入力がかな入力に対して有利な点として、覚えやすさと忘れにくさがある。


かな入力では、たくさんの定義を覚えることは大変だが、その中でも、
めったに使わない文字は、めったに使わない運動パターンとなり、
運動記憶として定着しにくいから忘れやすい。
度忘れたら、配列表を見るしか手がないというのも厄介だ。


一方、ローマ字入力では、覚えなければならない定義やルールが圧倒的に少ないし、
めったに使わない文字はあっても、めったに使わない運動パターンはないと言っていい。
忘れても論理的に思い出せるし、運動記憶からの補助もあるだろう。


ローマ字入力の打鍵数の多さは、運動記憶の定着には有利に働く。


(from http://hibari.2ch.net/test/read.cgi/pc/1265781723/931 )

 非行段かな系の場合、「忘れやすい」かなを記憶に結わえる方法として、「同置」や「隣置」などという手法を用いた「連想記憶」を行う方法が提案され、そして実装されています。
 そういった方法で保護された『低頻度かな』については、配列表に頼らなくても連想記憶から位置を引っ張り出してきて、若干ロスが出る程度で入力することができます。


 行段かな系(ローマ字入力など)においての「強力な忘れにくさ」は、マトリックス配字をしていることに基づく「強力な連想記憶」によって支えられています。
 連想記憶の必要がない高頻度文字も、連想記憶が有効な低頻度文字も、全部ひっくるめてマトリックスに配字してあるからこそ「打鍵数が多くて効率が悪くなることと、その規則性に支えられて強力な連想記憶が可能となっていること」の、行段系に特有の2つの特徴が同時に発現し、そして切り離せない関係になっている……と。
 マトリクスによる連想記憶を利用する手法は、非行段かな系の中にも「拗音節入力」用途で使う例があります(姫踊子草入力法・かえでおどり配列など)。
 マトリックスを使うと、「配字自由度が減る」代わりに「連想記憶の恩恵を強く受けられる」って事がポイント、と。


 一方で、非行段かな系の場合はマトリックスルールに拘束されることなく「配列の設計自由度が飛躍的に上がる」メリットがある一方で、どうがんばっても「弱い忘れにくさ・弱い連想記憶」しか確保できないというデメリットが発生します。
 さらに、清濁同置配列における「低頻度清音カナ」や、清濁異置配列における「隣置していない低頻度濁音カナ」においては、連想記憶を全く使えない状態になります。
 ……で、そういう悪影響が出ることを呑んだ上で「それでもいいから、打鍵数を減らしたり、もっと自由に高頻度カナを配字したい」というときに、非行段かな系が使われる……と。
 非行段かな系の場合、この「忘れにくさの度合い」については、設計者が比較的自由にその難易度を制御することができます。

  • 濁点・半濁点の「前置・シフトキー指定・後置」を採用……(半)濁音の強い連想記憶化。
  • かなの段系隣置化……段内かなの強い連想記憶化。
  • 一部の低頻度かなの隣置化……関連するかなの弱い連想記憶化。

 たとえば、(新)JISかな・多くの月配列系・NICOLA・小梅・下駄系・TRONかなは、「清濁の強い連想記憶」をサポートしています。
 あるいは、かえであすか・鶯・新下駄は、それぞれの配列ごとに度合いはことなるものの「清濁の弱い連想記憶」をサポートしてます。


 行段系のように「強力な連想記憶」があれば、「習得期間」は圧縮できるし、「日々の大量入力」も「維持練習」も必要ない……ので、そういった用途には行段系が特に向いています。
 一方で、連想記憶の一部分を崩して「高頻度かなの打鍵に関わるコストの圧縮を優先」すれば、「忘れにくさを減じてでも、使いやすさに割り振る」ということができます。
 このとき、配列の連想記憶に対する仕掛けの掛け方が弱まるほどに、「習得期間」は長くなっていき、かつ「日々の大量入力」または「維持練習」が必要となる可能性も増えていく……ので、結局は「どこまで、忘れにくさを犠牲にするか」という、閾値が重要になってくるはずです。


 配列設計における「バランスのとり方」というのは、こうして決まってくる……ので、【より忘れにくさに重きを置くか、あるいは、より使いやすさに重きを置くか】という、重心設計の違いに応じて、配列設計時点での設計方針や、仕上がり配列の特性が変わってくる……ってこと、ですよね。


 人それぞれに「求めるバランス」がちがうからこそ、万能配列なんて存在できない!……ってことになる、と。
 ある特定個人にとって、もっとも使いやすい配列ってゆーのは、「本人にとって、必要性を感じない部分にまで連想記憶用の仕掛けを適用したりせず、そこは使いやすさに振っている」ものであって、なおかつ「本人にとって、必要性を感じる部分まで連想記憶をぶち壊したりせず、不必要な大量打鍵や専用練習などせずに使い続けられる」という条件を満たすものです。
 多くの配列が提案されてきた今、それぞれの配列をじっくり見ていくと、こういった「連想記憶と、使いやすさの、バランスのとり方」が、それぞれの配列ごとに異なっていることが見て取れるんですよね……そこが「多数の候補がある、今という時代」の面白さなのかな、と。
 こういうところには、「清濁をどう指定するか」とか「拗音節をどう指定するか」などといった複数の難易度評価要素が絡むので、「簡単さ←→難しさ」を1次元的には評価できないところがヤヤコシイですね。


 ここで話題を提供するなら、たとえば「私にとって必要な使いやすさのレベルは皆にとって必要だし、私にとって必要な連想記憶のレベルは皆にとって必要だ!」みたいな妄想を垂れ流してみる……ってゆー手もあるんですけど、書いてて既に「私と貴方と世間様は、みな違う人間だ。いつの間に人間は規格品として製造されるようになったんだ?冗談は顔だけにしろよ。」ってツッコミをもらうことは目に見えてるし、実際私もそう言いそうなので^^;、この手のネタはもう不要かな、とも思っていたり。


 いずれにせよ、931(900)さんの投稿は、鋭いところを突いてるなぁ……と思う。
 私自身、「訓練を前提とした、飛鳥カナ配列」の配列表を一刻でも速く手放したかったのだけれど、結局それができなくて「連想記憶を前提とした、かえであすか」を作って解消しようと考えた……ので、こういった「配列構造に起因して、忘れやすさが変わるという考え方」には、共感するし思い当たるところもあるんです。
 「よろしければ〜」スレッドにおける、議論の深化度合いを現す、良い投稿だな……と感じたところで。

たとえば、鍵盤配列を「★」で評価するときの、考え方について。

 ……たぶん、全項目が「★★★★★」になる配列なんて、存在しない。
 項目がいくつかあって、「各配列ごとに、同じ数の★を、それぞれの項目に割り振っていく」方向になるんだと思う。
 それこそ、コンピューターRPGにおける「レベルアップ時の経験値を、どの項目に割り振るかを、ユーザー自身が決める」ってのと同じようにして配列は設計されるし、配列を使う人は「自らが持つ得手・不得手にぴったりフィットして、難しくもなく冗長性もないものを選ぶ」ってゆー、そーゆー方向になるんじゃないかな、と。