けん盤配列は金のなる木になるのか?

(過去:飛鳥カナ配列の特徴。 - 雑記/えもじならべあそび)


 うーん……最近?というわけでもないのだけれど、こういうのはある……と。
 【タタク ゆとり世代のキーボードシステム”タタク”
 【http://www.ttools.co.jp/product/hand/aiueo_kbd/index.html
 【Youtube - あかさたなキーボード
 【http://www.actbrise.com/notatch.html
 タタクの中の人とコメントのやり取りをしたことはないから判らないけど、ほかの3者さんは「きちんとした問題意識を持ってるなぁ」と感じるような応答があって、好感が持てました。


 あと、けん盤配列はそのままで「練習法とか使いやすさとか」をどーにかしよう……という例は以下の通り。
 【イワタデザイン スピーカー
 【http://homepage3.nifty.com/keyboard/


 基本的に、商売が成り立つためには

 (一部の人を除く)大衆は常に「それまでの常識」に近く、なおかつ「より楽が出来る」インターフェースがもっとも優れていると感じる。既存の概念を始めから全否定してはならない…と思う。


(from http://d.hatena.ne.jp/maple_magician/20040815/p2 )

 この部分を抜かしてしまうべきではないよなぁ……という感じがしています。


 たとえば、親指シフト&JISかなが「ローマ字入力」にシェア争いで負けた理由は【ローマ字かな漢字変換 | yasuokaの日記 | スラド】で語られる話がほぼ全てを物語っているでしょうし……。
 結局は「個々の効率を優先してバラバラなシステムを作っても、それらが選択肢を狭めてしまうようでは生き残れない」ということを指しているのかもしれません。
 現在の技術力からすれば「自分好みのキー配列にするときには、Felicaでタッチ!するだけ」とかいう回避方法をとることも可能であるはず……と思うものの、それを商業的に可能とするためのインフラはないので、現状ではまだどーにもならないところです。


 もともと「多種多様なけん盤配列」が広く普及するためには、意識とかルールとか言う部分よりも前に「仕掛け」が必要だと考えています。
 配列屋や、あるいはけん盤配列スレッドの常駐者のように「複数のけん盤配列を併用したり、システムによって使うべき手順を変えたりする」ことを苦としない人間ばかり……というわけではない(というか、正直言ってごく少数に限られていると思う)というのが実際だとすると、何よりも真っ先に「仕掛け」をどーにかしないといけないだろう……と。
 安岡先生の考察が「まるっきりの大ハズレ」という可能性は「すさまじく低い」だろうと思っているので、こういった「仕掛けからどーにかすること」については、もう少しきちんと考えていかなければならないだろうと感じています。


 私はとりあえず、出来る限りの提案を「けん盤配列のJIS化案に関する陳述書」に綴ってみたのですが、このあたりの認識ではRayさんとまるっきり考え方が違うみたいで……。
 ちなみに私、「標準となる唯一の入力法」だけをプッシュする気は、いまだにないんですよね……というか、永遠にそういう日はこないと考えています。
 現場の作業手順じゃないですけど、ああいう類のものは「あるときには少しずつ改善」して、そしてまたあるときには「全部ぶっ壊して改革」して……の繰り返しで進んでいくものですし、その改善/改革の根っこには「作業のやりにくさに対する不満を解決したい!」という欲求があるはずです。
 それと、「飛鳥カナ配列自体ですら、レフティ配列という要求がでる状況にある」ということも忘れるわけには行かないと思います。
 私自身、「かえでレフティあすか」を作ってから、アレコレと自己ツッコミを繰り返しているところなのですが、そもそも私自身が左手を多用することを好んでいるわけでないために「左手を多用することを好んでいる方にとっての使いやすい配列」を設計するためのノウハウが得られず苦労しています。しかも、141Fさんによる分析を通して、すでに「かえでレフティあすかが思惑通りには働かないことを思い知らされた」という事情もあり、その件に関してかなり凹んでいるところですし……。


 運動機能については「それぞれにばらつきはあっても、大枠では共通するものがあるだろう」という、ある程度までの平均をとって、いわゆる「世間様」像を得ることは可能だと思います。
 ただし、「世間様」はそもそも「大きな変化を好まない」わけで、どうしてもその変化が必要だとなれば「きちんと梯子を掛ける」ことが必要だろう……と。
 私が「変化そのもの」よりも「変化のための環境作り」に関心を持つのは、結局のところ「全ての行動は、周囲の環境に光を当てたときに出来る、影のような存在である」と考えているからなのかもしれません。
 パソコン環境ではロマかなが普及し、ケータイではかなめくりが普及したように、人の行動は「周囲の環境」によって規制され、そして誘導されていくものなのかもしれません。


 そのためには、もしもけん盤配列を普及させようとするのならば、まずはじめに環境の整備が必要だろう、と。
 そして、環境を整備するにしても、JIS X 6004で失敗したような「未来が予測できない、特定配列(配列の中身には依存せず)の押し付け」という方法ではなくて、きちんと「未来が予測できるような、多様なけん盤配列を実現する環境」が必要だろう、と。
 たとえば、JIS X 6004が「ダメな配列だから普及しなかった」と語られるところには違和感を覚えるわけです。現実には「JIS X 6004が出たときにはワープロ専用機→PC98x1への移行が始まっていた」というのが実際のところでしょうし、けん盤配列の思想自体は「当時としてはかなり良く練られていた」と思います。


 私は、けん盤配列の選別法については、結局「市場の原理に任せてしまうしかない」というふうに言うしかないだろうと考えています。
 その点について人為的介入を試みても結局は無駄にしかならない……という事からすると、他に出来ることは環境整備以外には見つからないだろうな、と。
 もともとロマかなが普及した主因が「環境整備面において優れていたからだ」ということが偽ではないのならば、これから「多種配列を扱うためのフレームワークの整備をすること」には、それなりの意義があるはずだと考えています。
 まずは【ロマかな(&JISかな)に対して傾斜する形で整備された環境】という傾き具合がフラットになってくれないと、その先に行くことはそもそも無理だろう……と思うのです。


 たぶん、けん盤配列が「金のなる木」になる可能性を持つのは、そういう環境整備が終わってからの話になるでしょう。
 特に、近年設計である多くのけん盤配列が「けん盤配列そのものを商売のネタとする」方法を選ばなかった*1……とすると、けん盤配列がもたらす利益というのは、結局のところオープンソースビジネスと同じような「個別化調整支援」とか「習熟教習」とか「最適化に関する考え方についての公演?」とか、そういったものになるだろうと考えています。


 ……うーん、私の考えかたって、やっぱりヘン、なのかなぁ……。
 とりあえず、飛鳥に限って言えば「JIS系入力法との共通点」を探していくことが必要なのかも。

*1:将来どういう未来が待っているのかはわからないけれども、個人的に「多くの配列がとった、この選択」は間違っていないだろうと考えています。